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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

カンクン 編

堀田英夫

2014年3月、メキシコ市歴史地区を2日間歩いて見学した後、国内便でカンクン(Cancún)へ飛んだ。カンクンでは3泊した。キンタナ・ロー州(Quintana Roo)にあるカンクンは、ユカタン半島の北東にあり、数字の7のような形でカリブ海岸に連なる多くのホテルがあるリゾート地のホテル街と、7の左上の先にあるカンクン市(ダウンタウン)とからなる。
 リゾート地として開発することが決まった1970年には、近辺に百人ちょっとの住民しかいなかった寒村であった。土地が買い上げられ、カンクンの町とホテル街との両方が1970年代から建設されていった。現在では、メキシコ国内外から多数の観光客を一年中集める一大リゾート地である。カンクン市から16kmのところにあるカンクン国際空港(Aeropuerto Internacional de Cancún)がその表玄関である。

 (C) 2014 Setsuko H. 部屋から中庭のプール越しにカリブ海ビーチを眺める


ビーチ playa

カンクン(Cancún)のビーチ・リゾートを初めて経験したのは、ふた昔も前となるが、1990年の夏休みである。既にこのことは、「ドミニカ共和国(2)プンタ・カナ編」で書いたけれども、ビーチの美しさについての部分、一部繰り返しになるが再度書く。

 海は連日おだやかで、ビーチの白い砂浜はとてもきれいで、海水もこの上なく透き通っていた。白い砂を背景に泳ぐ様々な魚が見えた。魚によっては人懐っこく足のそばに寄って来た。海水の中で立っていると、海水を通して射す日光で足の甲も日焼けするぐらいだった。ビーチパラソルの下で寝そべっていると何時間でもそのまま時間を過ごすことができた。
 ホテルから離れてメキシコ人が海水浴している方のビーチに行った時は、海水は同じくきれいであったが、砂浜に藻やゴミがあるのを見た。すぐ後で、ホテル前のビーチは、毎日早朝に人手によって掃除されていることを知った。

 今回2014年3月の滞在では、風があって波が少し高かった。滞在日数が少なかったため、また我々年齢が高くなったこともあり、砂浜で時間を過ごすことはなかった。

 (C) 2014 Setsuko H.


オールインクルーシブ

ホテル地区(Zona Hotelera)にある我々が滞在したホテルは、オールインクルーシブ(todo incluido)という設定であった。ホテル内にある数軒のレストランとバーには、スケジュール表に記載がある開いている時間に行けば、テーブルに空きがある限り自由に飲食ができた。(レストランによっては一部別料金の高級ワインなどがあった。) 食事をするとき、注文するメニューを決めるのに料金も含めて検討していた我々にとって、料金を考えなくて良いというシステムは気分が良かった。到着してすぐ、プール脇の屋台でエビ・タコスを食べた。お腹がすいていたこともあり非常においしかったと記憶している。朝食や昼食はビュッフェレストランやビーチサイドレストランなどを利用した。ただ夕食の時間は、イタリア料理レストランとメキシコ料理レストランなど開いているレストランが限られているため、客が多くいて、テーブルが空くのを待たされるためなかなか思い通りに利用できなかった時がある。
 ビーチ・アクティビティやショーなどのエンターテイメントも含まれていたけれど、滞在日数が少ないのと、ショーの始まる時間が遅いのとで、これらには我々は参加しなかった。
 オールインクルーシブの弊害というべきものにも我々は辟易した。ロシア人(と思われる)若者のグループ客など何組もが酔っ払って、プールサイドなどの外で深夜や明け方までかなり騒いでいて、静かな眠りも妨げられたりした。禁煙とわかっていてもロビーで喫煙したり、火のついたタバコを持って中に我々のいるエレベーターに平気で乗り込んでくるなど一部の客のマナーが悪すぎた。真夜中に、騒音をなんとかしてもらいたくてフロントに電話してもまったく対処してくれなかった。オールインクルーシブでもアルコール飲料はすべて別料金にすべきと思う。この後の旅行では、ホテル選択の際、オールインクルーシブのホテルは選ばなかった。

 (C) 2014 Setsuko H. メキシコ料理レストランでの一品


 (C) 2014 Setsuko H. イタリアンレストランの一品


 (C) 2014 Setsuko H. ビーチサイド・レストランで昼食をとっている時に、女性のバンドがテーブルを回ってきてリクエストも聞いて音楽演奏をしてくれた


カンクン市 Ciudad de Cancún

滞在中、ホテルの正面玄関からカンクン市のダウンタウン(Centro)へ行く、日本の旅行会社提供のマイクロ・バスが利用できた。といっても9時、11時、19時の3本しかなく、帰りは利用できない。2日にわたって利用したが、どちらも乗客は我々2人だけだった。ダウンタウンからホテルへの帰りは、旅行代理店が提供してくれた路線バスの乗車券を使って帰った。乗り場を捜すのにちょっと苦労した。車掌の若者がバスの乗り口で客引きをしていたので、ホテル行きかどうかと乗車券で乗れるかどうかをたずねることができた。利用した2台とも、乗り込むとラテンポップの音楽がガンガンと大音量で流れていて、いかにもメキシコらしかった。
 ダウンタウンでは、大きなショッピング・モールのプラサ・ラス・アメリカス(Plaza las Américas)、これも大きなスーパーマーケットのチェドラウイ(Chedraui)などを歩いて、地元の雰囲気を味わい、少し買い物をした。 2日目に、ダウンタウンから帰って、ホテルのある外海側とは反対の潟湖(laguna)の縁を少し散策した。イグアナが歩いているのを見ることができたのはこの土地ならではであった。

 (C) 2014 Setsuko H. カンクン市


 (C) 2014 Setsuko H. ホテル街と反対側の潟湖 ニチュプテ湖(Nichupté)


1990年夏のカンクン

1990年の夏休み、妻と小学生の子供2人の家族4人で1ヶ月メキシコを旅行した。メキシコ市に到着してからハラパ市へ移動し、そこの旅行代理店で、カンクンへの航空便(ベラクルスからカンクン、カンクンからメリダ)と1週間のホテル滞在が組まれたパッケージを申し込んだ。
 カンクン滞在中は、大半をビーチとホテルのプールで過ごした。子供達はバナナボート(banana acuática, banana boat)にも乗って楽しんだ。乗る前に見ていた時はかなりの人が海に飛ばされていたのに、自分たちは落ちなかった(あるいは、落とされなかった)と少し不満そうだった。海に浮かべるマットを借りて、家族4人で波に揺られたりもした。ビーチに何故か褐色のアヒルのような鳥がいて足をつつきに来たり、どこまでもきれいな遠浅の海では色鮮やかな魚と泳ぐことができた。娘は小さなエイも見たと言っていた。1週間ビーチで過ごしても飽きることはなかった。
 ホテルのレストランの他にも、ホテル前の道路を挟んで向こう側にレストランやファーストフード店が並んでいて、食事には困らなかった。
 カンクン滞在の最終日、前々日に、ホテル近くのHertzレンタカー営業所でレンタルを依頼した車を、ホテル玄関で待ったが、約束の時間8時を相当すぎても来なかった。営業所まで行ったが、閉まっていた。結局別のレンタカー営業所Budgetで手続きし、日産のツルという車種をレンタルできた時は10時になっていた。帰りの国内便に乗るために空港へ向かう途中のドライブである。エル・レイ遺跡、トゥルム遺跡、シェルハ海洋公園、プラヤ・デル・カルメンなどに寄った。

エル・レイ遺跡とトゥルム遺跡

エル・レイ遺跡(Ruinas del Rey)は、ホテル街の南のほうにある、比較的小規模な遺跡である。イグアナがたくさんいた。
 トゥルム(Tulum)というマヤ遺跡は、1972年にも訪れている。日墨交換留学生1期生として最後の1ヶ月にユカタン半島とオアハカを研修旅行で連れて行ってもらった時である。周りにジャングルしかない中をまっすぐ立派な道路が走り、その突き当たりに遺跡があった。その当時は土産物店はおろか物売りもいなかったように思(1)
 ユカタン半島の東海岸沿いの道路をカンクンから南下すると、トゥルムの遺跡に行く。青いカリブの海を背景に、白い石造りの建物が丘の上にいくつか立っていて、非常に美しい遺跡である。この1990年には、入り口前に土産物店や飲食店がかなり並んでいて1972年とはたいぶ雰囲気が違っていた。
 後古典期後期(西暦1200年~1520年)の代表的なマヤ遺跡で、スペイン人の艦隊が最初に目にしたマヤの街である。また19世紀のマヤ人反乱の拠点になった場所でもあるそうである。
 シェルハ(Xel-Há)海洋公園では、魚達と一緒に泳ぐことができる。しかし我々は、出発の遅れで時間があまりないこともあり、食事をするのと見学するだけで出てしまった。暑いのと、立ち止まると蚊に悩まされるため、長居はしたくなかった。セノーテ(cenote 密林の中の湖)も見た。
 土地の人たちが多く海水浴をしている海岸プラヤ・デル・カルメン(Playa del Carmen)にも寄った。その後、夕方にカンクンの町へ行き夕食をとった。娘のリクエストでラーメン店を探し出して食べた。午後7時20分に空港に着いて車を返し、メリダ行き飛行機が8時半発予定だったけれど、9時過ぎにようやく出発した。

メリダで2泊してからメキシコ市へ飛んだ。この1990年のメリダ訪問のことも「メリダ市編」に書いた。

<注>
2014年3月に旅行し、見聞したことと、旅行前後に調べたことを書いた。1990年の旅行についても書いている。
https://es.wikipedia.org/wiki/Canc%C3%BAn
などを参照した。
(1) 1972年の日墨交換留学生1期生としてのユカタン半島研修旅行では、メリダ(Mérida)のホテルに泊まり、市内の考古学博物館(Museo Arqueológico)などを見た。チチェン・イツァ遺跡(Chichén Itzá)、ウシュマル遺跡(Uxmal)、カバー遺跡(Kabah)のマヤ遺跡を巡った。それにイスラ・ムヘーレス(Isla Mujeres)に連れて行ってくれた。この頃、カンクンのリゾート地は開発が始められてはいたが、完成していなかった。

(2) 「マヤ遺跡探訪」のサイトには、エル・レイ遺跡とトゥルム遺跡についての記述がある:
http://www.infomaya.jp/quintanaroo/elrey/index.html
http://www.infomaya.jp/quintanaroo/tulum/index.html
シェルハ海洋公園のサイト: https://es.xelha.com/



※写真はいずれも2014年3月メキシコにて撮影 [©️2014 Setsuko H.]
2018/7/29.- 2021/11/16.

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