2016年3月のメキシコ旅行最終日、午前中のケレタロ市見学の後、メキシコ市に戻り、深夜の帰国便に乗るまで少し時間があるとのことで、グアダルーペ寺院(Insigne y Nacional Basílica de Santa María de Guadalupe)に連れて行ってもらった(1)。
グアダルーペ寺院は、1531年にフアン・ディエゴ(Juan Diego Cuauhtlatoatzin 1474-1548)というインディオ(indio)の前に聖母マリア様が出現したという場所に建立された聖堂が基になったカトリックの聖地である。フアン・ディエゴは、2002年にカトリック教会によって聖人に認められ、聖フアン・ディエゴとなっている。
門前町のようにかなり長い距離に渡って商店が立ち並んでいて、商店の前の比較的広い歩道に加え、中央も広い歩道になっている通りで車を降りる。中央の歩道両側に2車線がある大通りの先、北の方には旧グアダルーペ寺院(Templo Expiatorio a Cristo Rey)の正面入口が見える。中央の歩道は平らな石で舗装されているが、その中央もまたさらに平に磨かれているようである。まっすぐ進むと旧グアダルーペ寺院へ入ることができるので、膝で歩いて寺院へお参りに行く道なのだろうか。グアダルーペ街道(Calzada de Guadalupe)という名の、昔から(1791年開通とのこと)の道路のようである。
まず、新グアダルーペ寺院(Basílica de Santa María de Guadalupe)に向かう。広場からは、近代的な大きな筒形の2層の建物のように見える。下の層は壁と入口がいくつかある(7つとのこと)。上の層は壁が続いているが、一カ所のみ壁がなく、ボックス席のようになっている(2)。ここから前庭に集まっている信者にミサをあげられる礼拝所だそうである。その上には大きな十字架が立っている。屋根は見えないが屋根の上にもう1つの十字架が立っている。これらの十字架がなければ、カトリックの寺院には見えない。
像の下には、叔父の危篤のため、4度目に聖母マリアに会いに行くことを後回しにしようとしたフアン・ディエゴに、聖母がフアンに言った言葉の一節が書かれていた(3)。
次に旧寺院に入った。歴史を感じる聖堂である。正面両側には、8角形の塔が立っている。高い丸天井がいくつかあり、光りが入ってくる窓も高い所にいくつかある。シャンゼリアも天井からぶら下がっている。柱が何本も立っている。こちらの正面祭壇にも聖母マリア像が祀られている。いくつかのキリスト像があり、壁にはグアダルーペの聖母の出現の場面の絵が飾られている。
旧グアダルーペ寺院(クリスト・レイ贖罪教会)の正面
旧グアダルーペ寺院の内部
グアダルーペの聖母(La Virgen de Guadalupe)の出現について書かれた文書はいくつかあるようである。グアダルーペ寺院の公式ウエブページに掲載されていて最も重要とされている「ニカン・モポウア」(原文ナワトル語 Nican Mopohua. nicanここ mo-受身 pohua語る, ここに(次のように)語られる. 1649年)のスペイン語訳(Mons. José Luis Guerrero Rosado訳)によると、概ね以下のようである。
スペイン人によりアステカ王国が征服されてから10年ほど経った1531年12月のある土曜日の夜明け頃、近くのクアウイティトラン(Cuauititlán)に住むインディオ(indio)のフアン・ディエゴが、神様に導かれるようにしてテペヤク(Tepeyac)の丘の方に来た。麓に来た時、丘の上からとても美しく心地良い小鳥の鳴き声の合唱を聞いた。夢だろうかと自問しつつ鳴き声のする頂上、日の昇る方向に目を向けると、頂上から彼の名を呼ぶ声を聞いた。声に呼ばれ、至福の思いを感じ、丘に登った彼は頂上で、聖母マリア様の立ち姿を目にすることができた。
計り知れないほどのすばらしいお姿に彼は驚いた。お召し物は太陽のように照り輝き、お立ちになっている足元の岩は光の矢を放ち、すばらしい後光は、最高の価値を持つ宝石、翡翠に似ていた。地面は、霧の中の虹のように際立ち、そこにあった植物も宝石や黄金のようだった。
聖母は、次のようにフアン・ディエゴに言った。お前達に寺院をここに建てて欲しい、そうすれば皆の母である私は、皆の嘆きや悲しみを聞いて、取り除くため、いつもそこにいよう。司教の屋敷へ行って私がおまえを使いとして送ったこと、ここに寺院を建てて欲しいという私の望みを伝えて欲しい。
フアン・ディエゴは直ちにスマラガ司教(Fray Juan de Zumárraga, O.F.M. 1468-1548 メキシコ初代司教)のところへ行き面会を求めた。かなり待たされた後、跪いて司教にすべてを語った。しかし再度来るようにと言われる。
フアンは、その日のうちにテペヤクの頂上に戻ると、また聖母に会うことができた。聖母の意志を司教に伝えたけれども信じてもらえなかった。どうか著名な貴人なり、信じてもらえるような人を使いに送って欲しい、私は無価値な人間だからと伝えた。しかし聖母は、使者は、フアン・ディエゴでないといけないとし、翌日また司教に話しに行くようにと伝えた。
翌日日曜日早朝、ミサを聞いた後、司教館に行き、今度もなかなか会ってもらえなかったけれども、会うことができ、聖母の出現と意志について詳細を話した。司教は多くの質問をしたけれども、言葉だけでは信じることができず、何か証しが必要だと答えた。そしてフアンが司教の屋敷を立ち去るとき、司教は使用人にフアンの後をひそかにつけるようにと命じた。しかし後をつけた司教の使用人はフアンを見失ってしまった。
フアンがまた聖母のもとに来ると、証しを渡すから明日また来るようにと伝えられた。
フアンが家に戻ると、叔父の1人フアン・ベルナルディーノ(Juan Bernardino)が病気のため瀕死の状態だった。次の日月曜日、1日中医者を捜したけれども、功なく、火曜日の夜明け前、告解を受けてくれる司祭を捜しに家を出た。聖母にまた来るように言われてはいたが、叔父のために急いで司祭を連れてきてから聖母にお会いしようと、メキシコ市への近道のテペヤクの丘の上の方の道を行った。すると聖母マリア様がフアンの行く手に現われ、叔父の病気は治ったと伝える。そして丘の頂上に登り、花を摘んでくるようにと言った。
フアンが頂上に登ると、驚くべきことに、この極寒の中、岩やサボテンのような植物しかない頂上に、すばらしい見事な様々な花々が咲いていた。香りもすばらしく、夜の露が貴重な真珠のようだった。フアンは早速、花々を摘み、自分のポンチョ(tilma)を袋にして入れて、聖母の下へ戻った。聖母は花々を手にし、またポンチョに戻し、司教に会いにいくように、司教の前でのみポンチョを広げるようにとフアンに伝えた。
司教館へ行ったものの、まだ夜明け前で、執事や使用人たちは、なかなか取り次いでくれなかった。長い時間、うなだれて待ち続けるフアンがポンチョに何かを隠し持っていることに気づき近づいて来た彼らに、このままでは追い出されるだけと思ったフアンは、花を持ってきていることを少し見せた。使用人たちは、季節でもないのに生き生きとしたすばらしい花を見て、取ろうとしたけれども、ポンチョの絵あるいは刺繍となって手に取ることはできなかった。それでこのことを司教に伝えると、司教はフアンに入るようにと伝えさせた。
司教の前でフアンは平身低頭し、何か証しをという司教の言葉を聖母に伝えたことを話した。そして聖母に言われ登った岩だらけの丘の頂上で咲いていたすばらしい花々を摘んできたと言い、ポンチョを広げた。
すると、花々を撒き散らして広げられた白いポンチョの上に、突然、聖母マリア様の像が現れた。これを見ると、司教とそこにいた人々は、たいそう驚き、ひざまついた。司教は涙をため、聖母の願いをすぐに信じなかったことを悔い、許しを請うた。そしてフアンの首から聖母像の現れたポンチョをほどき、丁重に運び、祈祷室に置いた。
翌日フアンは、叔父の様子を見るため家に戻った。叔父は、フアンが聖母に病が治ったと聞いた丁度その時、彼にも聖母が現われ、甥と一緒に司教の下に行くようにと言われたと語った。そして聖母像を「グアダルーペの聖母マリア」(la SIEMPRE VIRGEN SANTA MARÍA DE GUADALUPE)と呼ぶようお頼みするように言われたとも語った。病が癒えた叔父とフアンは、司教の下に行き、これらを伝えた。
テペヤクの丘は、スペイン人が来る前、先住民の信仰する神の1柱、「神々の母」とされるトナンツィン(Tonantzin, to-私たちの nantli母)を祀る神殿があって、多くの人々が巡礼に訪れていた地だそうである。
グアダルーぺという名は、スペインのエストゥレマドゥラ州カセレス県を流れている川の名前である。語源は、アラビア語あるいはラテン語が入る以前のイベリア語の部分があるなどといった説がある。言い伝えによると13世紀末あるいは14世紀始め、一人の牧童がグアダルーペ川の近くで聖母マリアの彫像(福音の聖ルカが彫ったとの伝説)を見つけた。その近くに礼拝堂が建てられ、多くの人が巡礼する所となった。後にこの地に「グアダルーペの聖母マリア王立修道院」(El Real Monasterio de Santa María de Guadalupe)が建てられた。現在この修道院はユネスコ世界遺産に登録されている。
テペヤクという地とグアダルーペの聖母像という名前により、メキシコ先住民の神トナンツィンへの信仰とスペインのグアダルーペの聖母マリアへの信仰が重なったようである。メキシコのグアダルーペの聖母像は、先住民とスペイン人、両民族の子孫からなる多くのメキシコ人の信仰するところとなった。
グアダルーペ寺院を見学した後、空港へ送ってもらい、深夜発の帰国便に搭乗して、2016年3月のメキシコ旅行を終えた。