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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

メキシコ モンテレイ(2)編

堀田英夫

ヌエボ・レオン州(Estado de Nuevo León)の州都モンテレイ(Monterrey)には、国際イスパニア学会第15回大会(XV Congreso de la Asociación Internacional de Hispanistas)および第1回各国イスパニア学会会長会議(el Primer Encuentro Internacional de Presidentes de las Asociaciones de Hispanistas)の関連行事が始まる前々日の夕方に到着した。不測の事態に備え、余裕を持ってモンテレイ入りをしたのである。我々は問題なかったが、航空便で来た参加者の何人かの荷物が届かなかったようだった。皇太子夫妻との公式写真に、やむなくカジュアルな服で写っている出席者もいる。皇太子夫妻への謁見は「特別編 国王に謁見」のページに書いた。関連行事が始まるまで、モンテレイ市と近郊を少し見学することができた。

(C) 2004 Hideo & Setsuko H. ホテルの部屋の窓から。モンテレイ市は周りを山で囲まれている


コーラ・デ・カバーヨ Cola de Caballo & ラ・ボカ・ダム La Presa de La Boca

モンテレイ到着の翌日に、タクシー(運転手はミゲルさん)をチャーターして、朝8時半頃ホテルを出発し、町から南西へ約30分のコーラ・デ・カバーヨ(Cola de Caballo 馬の尾)公園とラ・ボカ・ダム(La Presa de La Boca)に夫婦で行った。どちらもサンチアゴ町(Villa de Santiago)の行政区に含まれ、近くには、サンチアゴの町がある。

(C) 2004 Hideo & Setsuko H. コーラ・デ・カバーヨの滝


 コーラ・デ・カバーヨというのは滝(cascada)の名前で、25mの高さから、馬の尻尾のように水が多くのすじになってひろがりつつ落ちていることからの命名と思われる。入場料1人30ペソで、半券にヌエボ・レオン州政府(Gobierno del Estado de N. L.)などの紋章や文字があり、州政府が管理しているようである。モンテレイ山頂国立公園(Parque Nacional Cumbres de Monterrey)の中にある。滝の近くまで歩道が整備されている。滝の反対側は、渓谷が眺められる展望台がある。付近を散策した後、タクシーの運転手ミゲルさんと合流し、アシエンダ・コーラ・デ・カバーヨ( Hacienda Cola del Caballo)の庭を通って、車まで戻った。
 車で途中、景色を眺望できる展望台に寄った後、ラ・ボカ・ダム(Presa de La Boca)へ行った。ここで妻は馬に乗った。30分50ペソだった。
 ラ・ボカ・ダムは、大都会モンテレイに住でいる人たち(los regiomontanos(1))が、ダム湖でボート(lancha)に乗ったり、湖畔でバーベキューや乗馬をしたりして、自然の中で休日を過ごすところとなっている。ダムは1963年に完成し、東シエラ・マドレ山脈(Sierra Madre Oriental)とシヤ山脈(Sierra de la Silla)に降る雨水を貯めて、モンテレイやその都市圏の水道水を供給しているとのことである。

12時半頃ホテルに帰着し、学生の1人から紹介されていたモンテレイ工科大学の教員Lさんに電話した。午後1時半にホテルロビーで待ち合わせをして、会うことができた。その日には、彼女の車で市内に連れて行ってもらったり、レストランで昼食をご馳走になったりし(2)

モンテレイ・メトロポリタン博物館&メキシコ歴史博物館 Museo Metropolitana & Museo de Historia Mexicana

翌日、日本からネット予約して2泊したホテルから、会長会議参加者用として指定されたホテルに引越し等を済ませ、午後、モンテレイ・メトロポリタン博物館(Museo Metropolitana sde Monterrey)とメキシコ歴史博物館(Museo de Historia Mexicana)へ歩いて行って見学した。
 メトロポリタン博物館の建物の外には、メキシコ・ベラクルス州トトナコ文化(totonaco)の「笑う顔」(caritas sonrientes)の写真に「笑顔と遊びの魔法」(La Magia de la Risa y el Juego)と展示タイトルがあるポスターが飾ってあっ(3)。入場無料だったが、博物館の名が入ったワッペンを胸に貼った。 中へ入ると2つの展示室のみの小規模な展示である。展示品の中には、ベラクルス州南部からタバスコ州北部に栄えたオルメカ文化(olmeca)の巨石人頭像(Cabeza Olmeca)もあった。他にも展示用の部屋や講堂があるが、我々が訪れたときは閉鎖してあった。
 この博物館の建物は、17世紀から19世紀にかけて建てられた建物で、旧市庁舎とのことである。市や州の行政や司法に使われた後、1989年以降、博物館となり、1995年からモンテレイ市営のメトロポリタン博物館となったそうである。

メキシコ歴史博物館(Museo de Historia Mexicana)は、現代的な3階立ての建物である。1994年に創設されたとのこと。メキシコ、特にメキシコ北部の歴史を示す資料が展示してある。常設展は、5つの展示室でそれぞれ、先史時代と先住民の諸文化、植民地時代とキリスト教宣教、独立戦争からメキシコ革命まで、近現代:産業化と都市化、自然と地球:メキシコの生物・生態系の多様性というテーマである。1人6ペソ、2人で12ペソだった。
 その日の夜、会長会議メンバーとして招待された州知事公邸での夕食会へ行った。この夕食会で、会長会議・学会大会の関連公式行事が始まった。

ガルシア洞窟 Grutas de García

各国イスパニア学会会長会議が終わった翌日、午後の学会大会閉会式を残すのみとなったので、午前中、タクシー(運転手エクトルさん)をチャーターして、ガルシア洞窟(Grutas de García)へ行った。モンテレイの北西、30kmぐらいのところにあり、ここもモンテレイの大都市圏に含まれるけれど、ガルシア町(el municipio de García)の行政区の中にある。
 洞窟入口に行くには、ロープウエイ(teleférico)に乗って80mほど山を登る。ロープウエイの料金として1人50ペソ、計100ペソを払った。

(C) 2004 Hideo & Setsuko H. ロープウエイで登る途中、下を見た景色。


洞窟は鍾乳洞で、中に入ると、洞窟や天井の穴の形や位置、それに石灰岩が天井から垂れ下がった鍾乳石(estalactita)と、床にタケノコ状に石灰岩が積もった石筍(せきじゅん estalagmita)でできた造形と、それぞれの空間に様々な名前がつけられている。ガイドがそれらを示し、説明してくれた。洞窟を出てからまたロープウエイで降りてきた。
 午後1時からの大会の閉会式に参加するため大学までタクシーで帰った。会長会議のメンバーの1人、ポーランドの学会会長のUさんがずっと一緒だったので、我々がチャーターしたタクシー代3分の1を彼女が負担してくれた。

開会式と同じ会場で閉会式が行われた。30分程の式で、その後、屋外で閉会のドリンク(copa)が供された。その後、大会参加者用のバスでホテルに戻った。午後4時15分頃、モンテレイの最後の散策にホテルを出た。

「旧市街」Barrio Antiguo

モンテレイの町中は、現代的な建物が並んでいて、どこかメキシコらしさが薄いように思った。ホテルから歩いて行けた「旧市街」あるいは「昔の市街」(Barrio Antiguo)というところでは、ようやくメキシコらしい家々が並んでいる街を目にすることができた。だが、リフォームもしくは塗り直してすぐなのか、家々はきれい過ぎて、通りも清掃が行き届いているらしくゴミが無く清潔で、なんとなく不自然である。喫茶店や土産物店、レストランやバーがほとんどで、住居は少ないように見える。

(C) 2004 Hideo & Setsuko H. 「旧市街」の町並み


 市庁舎(Palacio Municipal)や大聖堂があり、ソカロ(中央広場. 現在の名はサラゴサ広場 Plaza Zaragoza)があるところで、もとは市の中心部だった地区である。町の工業による発展によって、人口のドーナツ化が起こり、経済発展から取り残された地区を、観光のための整備したようである。
 近くにある大聖堂(Catedral de la Inmaculada Concepción de Monterrey)にも入った。18世紀に建てられたバロック様式(Estilo Barroco)の石造りの教会である。正面右側には屋根より上に3層の鐘楼があるが、左側には、その半分ぐらいの高さの時計台になっている。

会長会議参加者用として指定されたホテルで7泊した後、最終日、朝6時にチェックアウトし、前日に頼んでおいたホテルの空港行きワゴン車に乗り込む。モンテレイの空港から飛び立ち、ダラス経由で帰国した。


<注>
2004年7月にモンテレイで滞在し、見聞したことと、後に調べたことを書いた。もらったパンフレット類の他、以下を参照した:
http://www.3museos.com/sobre-3-museos/museo-de-historia-mexicana/
https://www.aboutespanol.com/la-presa-de-la-boca-3417976
https://es.wikipedia.org/wiki/Museo_de_Historia_Mexicana
https://es.wikipedia.org/wiki/Grutas_de_Garc%C3%ADa https://es.wikipedia.org/wiki/Parque_nacional_Cumbres_de_Monterrey
など。

(1) モンテレイの地名形容詞はregiomontano, -naである。regioがrey(王)の形容詞形、montanoがmonte(山)の形容詞形なので、Monte Reyそれぞれの形容詞形を足してregiomontanoとしたのではないかと思われる。

(2) 7日目にもお会いするため大学の仕事場を訪問した。入口では警備員に身分証明書提示を求められた。言語学研究が専門の先生で、今は、メキシコ各地にあるモンテレイ工科大学キャンパスで授業を受けられるよう情報通信技術を利用した遠隔教育を開発しているそうで、コンピュータの画面を見せてもらった。

(3) ちなみにトトナコ文化の笑う顔は、学生時代のメキシコ滞在時(1971年-72年)に音声学の授業を受けたJ先生から顔だけのレプリカを贈られて、今も自宅に飾ってある。
オルメカ文化の巨石人頭像も、学生時代のハラパ市滞在時に市の郊外にある人類学博物館(Museo de Antropología de la Universidad Veracruzana)で、および滞在最後の月のユカタンへの修学旅行の途中ビヤエルモサ(Villahermosa)の博物館でも見たことがある。また1990年の旅行でもハラパ市の人類学博物館を訪れて家族で見ている。



※写真はいずれも2004年撮影 [© Hideo & Setsuko H.]
2018/10/23.- 2020/9/24.

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