何段もの広い階段を上がったところに建っているすっきりとした外観のグアナファト地域博物館(Museo Regional de Guanajuato)は、もと穀物倉庫(Alhóndiga de Granaditas)として建てられた。トウモロコシなどの穀物を保管したり売り買いするために1809年に完成した建物とのこと。外の窓を見ると3階建てのように見えるが建物内の中庭にある回廊は2階建てである。中庭の床の下に倉庫があるのだろう。窓はあまり大きくなく石造りのしっかりとした直方体の建物である。独立を叫ぶ武装した群集が迫ってきた時、スペイン出身の支配階級の人たちが難を逃れるために立てこもったということが理解できる。
1810年9月16日グアナファトから60kmしか離れていないドローレス村でイダルゴ神父らが独立の叫びを上げ、先住民を含む民衆と共に武装蜂起してから、この近辺で一番大きな町、グアナファトへ進軍してきたのである。副王側のスペイン人とその家族、それに兵士達は、穀物倉庫に立てこもり援軍を待った。しかしピピラという鉱夫が石板を背負って銃弾を避けながら木製の扉に近づき火を付けたことにより、独立派が建物になだれ込み、立てこもっていた人たち600人以上を虐殺し略奪したと言い伝えられている。独立派は軍隊としての装備や訓練がまったく不足しており統制が取れていなく、グアナファトを略奪し、その後も略奪や殺戮を続けて進軍した。このこともあり、一時は軍事的に勝利しつつも広範な支持を得ることなく、1811年には副王軍に敗北し、イダルゴらは、処刑されてしまった。指導者4人の首は、見せしめのためグアナファトの穀物倉庫の4隅につるされたという。
現在の博物館としては、イダルゴなど独立戦争の英雄の業績、独立までの歴史文書や文物の展示、この地方の民芸品や伝統的な道具、グアナファト州南東部のチュピクアロ(Chupícuaro)文化(紀元前500年から紀元後300年)の陶器、メソアメリカ各地の文化の神像のコレクション、それに地元の画家、写真家の作品の展示があった。
地域博物館に展示してある先住民文化のお面 (カメラ不調のため色がおかしい)
地域博物館の馬具の展示
ある日、「ラ・ウニオン庭園」には大勢の見物客がいた。椅子に座っている人も多い。キオスクに室内管弦楽団がいて、クラシックの演奏があった。公園でクラシックを聞きながら時間を過ごすという風情であった。
別の日、町の中心部の石畳の道の段差で妻がつまずいて倒れてしまった。するとすぐに数人が駆け寄ってきて助け起こして、怪我は無いかとたずねてくれた。中には観光警察(Policía Turística)と書いた制服を着ている人もいた。周りに警官がいることにまったく気づいていなかったのだけれど、観光客の安全をたえず見張っていてくれていたのだと思う。セルバンテス・フェスティバルなどでの観光客受け入れに普段から備えているようである。
グアナファト滞在中に、「アンティグオ・バポル」(昔の蒸気)(Antiguo Vapor)というホテルで朝食メニューを昼食として食べた。朝食は朝8時から正午まで提供しているとのこと。ここは、グアダラハラにいた時にグアナファト滞在ホテルを探した際、メールで料金を問い合わせた一つである。街中にあって観光スポットを歩いて見て回るのに良いところにある。7泊するということで特別価格を提示された別のホテルに宿泊していたものの、少し未練と興味があったため食事に訪れたのである。
オーナーの男性に妻が話しかけたところ、改装の時の写真アルバムを見せながら建物の話をしてくれた。改装はかなり本格的で長い時間がかかった工事だったようで、妻が「きっと新しく建てるより大変だったんでしょうね。」と言ったらその通りと深くうなずいていた。1555年頃、鉱山アシエンダ(hacienda minera)として、銀の生産施設の他に住居、商店、礼拝所、倉庫などがあったところだそうである。現在の建物は、18世紀に建てられたもので、1920年に改装されグアナファト最初のパン屋として開業していた。3つの釜が残っていてその一つが蒸気式とのことである。それをホテルに改装したとこのこと、街を見下ろすことができるバルコニーもあり、良い雰囲気のホテルだった。レストランはナワトル語でpapalotl(蝶)と名づけられていた。オアハカとベラクルスと名づけられた卵料理などいろいろのっているプレート(お代わりをさせてくれたトーストとコーヒー込みで各45ペソ)を一つずつ頼んだ。人参ジュース大(18ペソ)も注文した。
銀鉱山の遺構を見るべく近郊のバレンシアナ(Valenciana)へ路線バスで行った。グアナファトの西の郊外なので、滞在しているホテルよりさらに先に坂道を登っていった方にある。乗るためのバス停は前の日に確認しておいた。バスに乗り込み料金を払おうとしたら、後だと言われる。後で車掌の男性が集金に来た。路線バスではあるが市内バスと違い郊外を結ぶバスなのでシステムが異なるようである。しばらく走って後、車掌がバレンシアナだと教えてくれた。バスを降りた近くの高台の上に聖カエタノ聖堂(Templo de San Cayetano)が建っている。この教会は、バレンシアナ教会(Iglesia de la Valenciana)とも呼ばれている。銀鉱山からの富を注ぎ18世紀に立てられた教会とのことである。中ではちょうどミサが行われていたのでゆっくりとは見学できなかった。中央祭壇は細かい細工でびっしりと飾られていた。教会を出ると修復のための寄付を求められ少し寄付してきた。 バレンシアナにはいくつか銀鉱山があった。その内のいくつかが見学できるようである。教会の高台を降りたあたりにいた子供に見学できる鉱山をたずねたら、案内してくれた。いやな顔一つせず案内してくれたのでお駄賃を少し渡した。
聖ラモン坑道入り口(Bocamina San Ramón)を見学することができた。入り口から2階建ての石造りの建物に囲まれた中庭に入る。中央あたりには鉱石を砕く装置なのか、石の大きな盤の上を石の臼を転がす粉引きと同じ原理の装置がある。周りの建物には、昔の道具や写真が展示してあったり、バーや小さな聖像が安置してある礼拝所もある。懲罰のために坑夫を閉じ込めておくためだろうか、鉄格子が扉になっている牢もあった。中庭でぶらぶらしながらしばらく待っていると、ようやく声がかかりガイドの案内で坑道を見学することになった。中庭の片隅にある坑道入り口でガイドの案内を受ける。ヘルメットをかぶり坑道を入って行く。坑道入り口にも聖像がある。坑夫達が坑道へ入るとき、安全を祈願したのである。坑道は520mの深さがあったそうであるが、見学用は安全のため60mのみとのこと。奥にドリルが置いてあり、岩を掘削するポーズで写真が撮れる。
16世紀中頃に当時世界で最も豊かな銀の鉱脈が発見され、18世紀に鉱山として登録されたとのこと。浸水などの大事故、立て坑を深くするなどの拡充を経て、所有者が変わったりした後、現在は、鉱山の生産はされず、坑道見学の博物館として、また中庭を企業や家族のイベント会場として提供しているそうである(1)。
グアナファトの観光スポットの一つにミイラ博物館(Museo de las Momias)が含まれている。グアナファト観光すべてを網羅するためだけに、2人ともあまり興味はなかったがホテルからタクシー(30ペソ)で行った。入場料が50ペソと結構高かったため、妻だけが入った。
市立墓地(Panteón Municipal)の隣にこの博物館はある。墓地の管理料を遺族が払えない墓から遺体を出し、きれいにミイラになっているものを展示し、管理人達が収入としていたそうである。現在は、1861年から1989年までの自然にミイラとなった100体以上を展示する市立博物館となっている。この地の土の成分から自然にミイラになるそうである(2)。
ミイラ博物館の後、路線バスで30分かけてラ・オリャ貯水池(ダム)(Presa de La Olla)へ行った。料金は、1人4ペソである。バスは、地上を走っていたと思うと、いつのまにか地下の道路(calles subterráneas)を走っている。町の地図を見ると、何本もトンネルが町の地下を走っている。トンネルは、途中に他の方面からの進入路があったり、行き先別に分岐するところがあったりと、地上の道路と変わらない交通路になっている。最初は、川の氾濫を防ぐための水路として作ったとのこと。その後交通渋滞解消の対策として、地上には建物が立て込んでいて道路が作れないため、地下に道路を作っていったとのことである。鉱山を掘る技術が地下道を作るのに利用された。水路や貯水池(ダム)でここでも水対策が重要だったようである。
しばらくして地上の道路に出ると、日曜だったので途中の広場では市民が散策したり屋台で食べ物などを買っているような風景をバスの窓から見ることができた。バス終点の貯水池のまわりにはレストランなどがあり、保養地のようになっている。緑が多く家族連れでにぎわっていた。
グアナファトでは、他にサン・フェルナンド広場(Plaza de San Fernando)にあるレストランで食事したり、イダルゴ市場(Mercado Hidalgo)、その近くのベレン教会(Iglesia Belén)なども見た。
グアナファトは、中心部の歴史地区にたくさんの見所や博物館、教会などがほぼ歩いていける距離に集まっている。レストランやカフェもたくさんあり、ゆっくり見学することができた。最終日、タクシーでバスターミナルに行き、メキシコ市行きバスに乗り込んで、グアナファトの見学を終えた。
レストランやカフェの椅子とテーブルがあるサン・フェルナンド広場 (故障前に撮影したもの)