ドミニカ共和国では、首都サント・ドミンゴ旧市街見学の翌日、東へ200km弱行ったところにあるリゾート地のプンタ・カナへ行き4泊した。
ドミニカ共和国。首都サント・ドミンゴ(赤丸)と東の端にプンタ・カナ(緑の四角)
d-maps.com(http://d-maps.com/carte.php?num_car=1388&lang=es)の地図を一部改変
首都サント・ドミンゴ市のホテルから、迎えの車で、朝10時頃出発した。ドライバーはダビッド(David)さんとなり、ガイドは前日と同じくオクタビオ(Octavio)さんである。オクタビオさんは現地ドミニカの特徴がほとんどない、いわゆる標準のスペイン語で話してくれて非常に理解しやすかった。申し込みをした日本の旅行パンフレットには、現地英語ガイドとなるむね記載があった。スペイン語圏へ行くのだからスペイン語でのガイドが可能だろうし、我々は英語よりもスペイン語で聞いたり話したりしたほうが楽なので、旅行代理店に可能ならスペイン語でのガイドをと事前に頼んでおいた。そのためか、たぶんスペイン人などを相手にガイドをしてきたオクタビオさんを当ててくれたのだと推測する。
サント・ドミンゴ市を離れる前に、前日ナシミエント(nacimiento キリスト生誕飾)を買った店に寄ってもらった。前日買ったナシミエントに傷があったため、別のものと交換してもらったのである。その後、車はほぼまっすぐに東へ延びる道を進んだ。途中走る車の中で、別荘地のある町とか、川とかの説明をしてくれた。約3時間のドライブの後、プンタ・カナのホテルに到着した。ここでガイドのオクタビオさんとは別れた。
ホテルの我々の部屋は、最上階の4階にあり、海に向かって開いているコの字型に並ぶ客室の中央にあった。部屋から海とホテルのプール、ヤシの木などの緑があざやかな中庭を見下ろすことができ、非常にきれいな景色が眺められる。海と反対側は、屋根がなく、白塗りの床で、ところどころ植木鉢が置かれた広い廊下である。そこから眺めると、見渡す限り緑が広がり、ホテルの建物以外、近くにはほとんど建物が見えない。
部屋からの眺め
ホテル前の景色
部屋に落ち着いてしばらくしてから、プールとビーチに出てみた。ビーチの砂浜は、打ち寄せられた茶色の藻が幅広く帯状に覆っていて汚らしい。海水の中にも茶色の藻が多く漂っている。旅行パンフレットの「美しい海」の写真や、「期待を裏切らない美しいカリブ海」という文句とはだいぶ違っている。
カリブ海のビーチ・リゾートを初めて経験したのは、ふた昔も前となるが、1990年の夏休みにメキシコ・カンクン(Cancún)においてである。メキシコを一ヶ月家族旅行した中で、ベラクルス州ハラパ(Xalapa)の旅行代理店で申し込みしたカンクンで一週間滞在する旅であった。海はおだやかで、ビーチの白い砂浜はとてもきれいで、海水もこの上なく透き通っていた。白い砂を背景に泳ぐ様々な魚が見えた。魚によっては人懐っこく足のそばに寄って来た。海水の中で立っていると、海水を通して射す日光で足の甲も日焼けするぐらいだった。ビーチパラソルの下で寝そべっていると何時間でもそのまま時間を過ごすことができた。ホテルから離れてメキシコ人が海水浴している方のビーチに行った時は、海水は同じくきれいであったが、砂浜に藻があるのを見た。すぐ後で、ホテル前のビーチは、毎日早朝に人手によって掃除されていることを知った。
プンタ・カナでは、滞在中何度かビーチに行き、しばらくデッキチェアーに座って時間を過ごしたこともあるけれど、茶色の藻があるのは変わらなかった。また海の中にも同じ藻が漂っていて、魚や海の底は見られなかった。カリブ海のハリケーン(huracán)のためとか、何らかの気象上の原因のためと推測され、いつもこのような状態ではないとは思う、あるいはそうでないことを望むけれど、少なくとも我々が滞在している間は、美しいカリブ海ビーチとは言えず、残念であった。
茶色の藻で覆われた浜辺。勇気ある2人が海に入っているのが見えた。
プンタ・カナ到着から4日目、軽い昼食を取ろうと、ビーチにあるホテルのレストランに入った。ドミニカ料理と言われたスープを我々2人別々の種類を注文した。スープはドミニカ料理のSancochoと思われる煮込み料理のようで、おいしく、ボリュームがあった。ライス、野菜サラダの皿も供されたので、お腹がいっぱいになった。食事も終盤となり、デザートを頼もうかと思っていたら、ビーチでブルドーザー、パワーシャベル、トラックが清掃作業を始めて、排気ガスと音がすごかったため、早々に切り上げて部屋に戻った。
ドミニカ料理
ホテルでもらった地図によると、プンタカナ(1)・リゾート&クラブ(PUNTACANA RESORT & CLUB)の敷地には4つのホテルの他に、レストラン、店、ゴルフ場、マリーナなどがある。スキューバダイビングなどのビーチアクティビティの他に、乗馬、テニス、バードウォッチングができ、セグウエイ、自転車、バギーなどでジャングルの中を走る設備も整えられている。敷地内のこれらの施設に行くには、滞在したホテルの玄関前から出るシャトルバスを利用することができる。北と南の2ルートそれぞれほぼ1時間ごとに出る時刻の記された時刻表をもらった。時刻表にある時刻どおりに運行されないのは他のラテンアメリカの国と同じだった。
プンタカナ・リゾート&クラブ到着2日目の朝、このバス・ルートをバスから車窓見学した。しゃれた商店がある一角には、ファーストフードの店もあるようだった。小さなマイクロバスだったので、別のホテルの前では、待っていた大勢の客のほとんどを乗せずに出発したこともあった。途中スコールが降ってきて雨の中の車窓見学となった。北ルートからホテル玄関に戻ってから、そのまま南ルートに行ってくれた。
ここは以前、広大なジャングルで、人の住む町からの道もないような土地だったそうである。1971年に最初の小規模なホテル、クラブハウス、従業員用居住区(小さな学校付設)、小さな滑走路、発電設備が作られたことからリゾート開発が進められたとのことである。地名もプンタ・ボラチョン(Punta Borrachón)(2)であったものを商業的にリゾート地として相応しくないからと少し南にある地名プンタ・カナ(punta 岬 cana 白い)を使ったとのこと。一番近くの町イゲイ(Higuey)からプンタ・カナへ行くのに、6時間かかっていたのが、1981年に政府により道路が整備されると35分に短縮された。また、8年間に渡り、3つの政権との困難な交渉の結果、世界で初めての完全な民営国際空港としてプンタ・カナ国際空港(Aeropuerto Internacional de Punta Cana)が1984年に開港したとのことである。プンタカナ・リゾート&クラブの敷地内にあるとのことで、ホテルでもらった地図の中にもこの空港が描かれている。
我々の滞在したホテルの1階廊下に、このリゾート地の歴史を写真で紹介してあった。
オホス・インディヘナス生態保護区(Reserva Ecológica Ojos Indígenas インディオの目)(3)という一角が地図に記されている。ここでは、天然の泉で、カメや魚と一緒に泳ぐことができると書かれている。プンタ・カナ生態保護財団と書かれた建物もその近くに記されていてこの財団がここの一角の土地を所有しているそうである。オホス・インディヘナスへはホテルからシャトルバスで行ける。バスが止まるところからはセグウエイとバギーに乗る施設や農場(el Rancho)にも歩いて行けるようである。
オホス・インディヘナスへは、車窓から下見をした翌日に行った。バスを降り、カヤブキの屋根がある生態保護区の入り口に向かった。入り口でホテルのカード・キーを提示し、ノートに氏名等を記入したら、受付の男性がリストバンドをしてくれた。
カヤブキの屋根がオホス・インディヘナス入り口
うっそうと樹木が生い茂る中に小道が作ってあるところを歩いて行く。途中に透き通るきれいな水をたたえた池(laguna)がいくつかある。水を通して池の底が薄い青緑色で見えている。泳いでいる魚も見える。我々が見た2ヵ所では、木製のデッキが作ってあって、水に入れるようになっていた。泳いだり、飛び込んだりしている観光客の若者たちが何人かいた。我々も少し泳いだ。白いアヒルのような鳥がえさをねだっているのか近づいてくる。天然のジャングルの中で時間を過ごしたという感じがした。歩きの時間も含め2時間半ぐらい過ごした後、入り口に戻り、道路の反対側にある、セグウエイとバギーに乗る施設まで歩き、その建物の中で着替えた。その後、ホテルへ帰るバスを待ち、14:10に来たバスに乗り込んだ。
オホス・インディヘナス
プンタ・カナ滞在最終日の昼頃、迎えの車で、近くに位置するプンタ・カナ国際空港へ行った。空港ターミナルは、ヤシの葉で屋根をおおったカリブ海先住民の伝統的な建築様式である。帰国の経由地であるニューヨークに向けて飛び、ドミニカ共和国での滞在を終えた。
飛行機が飛び立ってすぐの上空から撮影。プンタ・カナ周辺
※写真はいずれも2015年10月ドミニカ共和国にて撮影 [©️2015 Setsuko H.]