2014年3月のメキシコ市滞在2日目、ソカロの北側にあるメキシコ首都大司教座大聖堂(Catedral Metropolitana de México, Arquidiócesis Primada de México)を訪れた後、旧サン・イルデフォンソ学院(Antiguo Colegio San Ildefonso)と公教育省(文部科学省)(Secretaría de Educación Pública)の壁画を見学し、午後には、ディエゴ・リベラ壁画美術館(Museo pintura mural Diego Rivera)、それに革命記念塔(Monumento de la Revolución)を訪れ、展望台(mirador)に登り、そこの地下の革命博物館(Museo Nacional de la revolución)も見た。
旧サン・イルデフォンソ学院は、イエズス会が以前からの神学校などを統合し、1583年に設立した教育施設である。7世紀スペイン・トレード(Toledo)の大司教(San Ildefonso)を讃えた名が付けられていた。イエズス会の追放やメキシコ独立後は、国立高等学校(Escuela Nacional Preparatoria)などとして利用された。現在は、文化施設として使われている。建物は、植民地時代のバロック様式を保っていて、メキシコ市の歴史地区の雰囲気を形作る1つとなっている。
1922年、国立高等学校であった時、壁画のためのキャンパスとしてここの壁面が使われたことから、メキシコの壁画運動(el muralismo mexicano)が始まった。メキシコ革命の戦闘が終結してまもなくの1920年、オブレゴン(Álvaro Obregón 1880-1928)が大統領に選ばれると、文部大臣にバスコンセロス(José Vasconcelos 1881-1959)を任命した。バスコンセロスは、大衆が、文字が読めなくてもメキシコ革命の理念を知り、メキシコの国民の成り立ちがわかるような絵画を、誰もが見ることができる公共の建物の壁面に、描かせることで、大衆の教育と同時に、文化振興・芸術振興を図ったのである(1)。
旧サン・イルデフォンソ学院の中庭の一つ
メキシコ革命は、1910年11月20日のフランシスコ・マデロ(Francisco Indalencio Madero 1873-1913)による武装蜂起に始まり、革命憲法が制定された1917年までの、民族主義的社会革命とされる。
ディアス大統領(Porfirio Díaz 1830-1917)による35年間(1877-1911)の長期独裁体制の下で、外国資本導入による経済発展を見るものの、激しい貧富の格差と社会の不公正・不公平がはびこった。インディオ(indio 先住民)農民大衆が、白人(クリオーリョ criollo)の地主・資本家・聖職者に支配されるという植民地時代からの構図が残る社会で、経済発展によりメスティーソ(mestizo)の労働者や中産階級が増え、外国資本の排除、社会の変革をめざす声が高まった。地主の支配に飢える小作農民大衆も立ち上がることでメキシコ全体での戦いに広がったのである(2)。
オロスコ「革命の三位一体」(La trinidad revolucionaria 1923-1924)戦闘の現実、苦悩、暴力性を表している。
旧サン・イルデフォンソ学院は3階建ての建物で、内部では、メキシコ壁画運動のホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco 1883-1949)、ディエゴ・リベラ(Diego Rivera 1886-1957)などの壁画が見られる(3)。ボランティアというガイドの少し年配の男性が、我々夫婦2人とメキシコ人の若者1人のために細かく、隈なく、熱心に説明してくれた。一度外に出て、建物そのものの説明もしてくれた。
フェルナンド・レアル「チャルマ村のキリストの祭」(La fiesta del Señor de Chalma 1923-1924) キリスト教の要素と従来の信仰の要素の混交としての祭を表している
ジャン・シャルロット「テンプロ・マヨールでの殺戮あるいはテノチティトラン征服」(Masacre en el Templo Mayor o La Conquista de Tenochtitlan 1922-1923)
旧サン・イルデフォンソ学院の次に、公教育省(文部省 Secretaría de Educación Pública)の建物内の壁画見学に行った。公教育省のサイトによると、1921年6月から1年かけて建設され、1922年7月に完成した。建物が完成するとバスコンセロス文部大臣の招きで、ディエゴ・リベラが1923年から5年かけて壁画を描いた。壁画には、一時代のメキシコ国民の生活や習慣、考え方が反映されていて、有名人のみならず一般民衆の姿でメキシコの歴史が描かれている。
公教育省建物内のリベラの壁画 (Viernes de dolores en el canal de Santa Anita 1923-24)
公教育省中庭に咲くジャカランダ(jacarandá)。
午後、ディエゴ・リベラ壁画美術館を訪れ、有名な「日曜日の午後、アラメーダ公園を散歩する夢」(Sueño de una tarde dominical en la Alameda Central 1947)を見た。この壁画は、プラド・ホテル(Hotel del Prado)のレストランの壁で製作されたものの、1985年の地震でホテルの建物が被害を受けたため、移動させて、新しく美術館を建て、1988年以降、公開展示されることになったとのことである。美術館の他の部屋が改修中のため、この壁画のみの展示であった(4)。
メキシコ壁画で是非見るべき作品を上げるとしたら、リベラの「メキシコの歴史」(la Historia de México 1929-1935)であろう。ソカロの東側にある国立宮殿(Palacio Nacional)の中、中央階段の中央壁面と左右側面に描かれている大きな作品である。右からアステカ時代、スペイン人による征服、独立、レフォルマ、革命、そして現代と連続している。国立宮殿は、大統領官邸や大蔵省などの政府機関が置かれている建物なので、公式行事などがあると壁画を見ることができない。今回ソカロを訪れた際も、入ることができなかった。1990年7, 8月に家族旅行をした際などには見たことがある(5)。
アラメダ公園の近くにあるホテルから、西の方へ歩いて行き、革命記念塔(Monumento de la Revolución)を訪れた。展望台(mirador)に上がり、そこの地下の革命博物館(Museo Nacional de la revolución)も見た。革命記念塔は、アメリカ合衆国議会議事堂の中央部の高くなっているところだけのような形をしている。建設途上の巨大な建物という姿で、かなり離れたところからも見ることができる。筆者は、閉鎖されていた1971年にも外観を目にしたことがある。建物を完成させないでモニュメントにしておくのは予算の無駄ではないかと感じていた。1910年の独立100周年記念に向けて、国会議事堂を建設すべく、1906年に建設が始まったものの、革命勃発のため、工事が中断した。計画が変更され、革命の英雄達の霊廟として1936年から整備され、一時閉鎖期間を経て、2009年以降、展望台と地下の博物館が一般公開されているのである(6)。
。革命記念塔上の展望台から下を見る。地上の白い四角形は噴水。
革命博物館に展示してあった1917年憲法