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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

メキシコ   国立宮殿と壁画 編

堀田英夫

テオティワカン遺跡の見学とその近くのレストランでの昼食の後、メキシコ市に戻り歴史地区にある国立宮殿(Palacio Nacional)を見学した。

(C) 2019 Setsuko H.


ソカロ(Zócalo)/憲法広場(Plaza de la Constitución)

国立宮殿

ソカロの北側にある大聖堂近くまで車で送ってもらう。ソカロの東側に堂々と国立宮殿が建っている。ソカロ周辺の道路幅も含めてかなり広いソカロの東側1辺を占める、3階建ての赤茶色の建物である。

(C) 2019 Setsuko H.


 国立宮殿のあるこの場所は、アステカ王の居城、征服者エルナン・コルテス(Hernán Cortés 1485?-1547)の宮殿があったところとのこと。植民地時代に副王の宮殿として建てられ、独立や革命などを経て現在に至るまで、メキシコ全体の統治/行政の拠点である。ただ大統領官邸は、現在のロペス・オブラドル大統領(Andrés Manuel López Obrador(1953-)が2018年に就任する前まで1935年から83年間、ここから西南西にあるチャプルテペックの森(Bosque de Chapultepec)の中の広大な土地を占めるロス・ピノス(Los Pinos 松)を14代の大統領が使っていた。この間も、独立の「ドローレスの叫び」(el Grito de Dolores)など、大統領が主宰する公式行事や儀式には国立宮殿が使われていた。
 ソカロ側(東側)には中央入口があるけれども、見学者は使えない。見学者用の入口のある建物の北側(1)へ行って行列に並ぶ。見学できる日でも、一時に入る人数を制限しているので、日によってはかなり並んで待たなければならないそうである。この日は30分ぐらいで入れそうということで長い行列の後ろにつく。日曜日ということもあり、メキシコ人の家族連れが多くいる。ようやく(約25分)順番が来て、ガイドのT氏がIDを預けることで、我々も首からかける札を借りて中に入る。同行2人まで1つのIDで入れるとのこと。預けてあったIDに3人入場であるとのメモの紙が付いていた。帰りに札を返却することによって、新たな入場者を入れ、見学者をコントロールしているようだ。
 建物の中の通路を進むと、リュウゼツランやサボテンなどの植物が植わった中庭に出た。なぜかここは撮影禁止とのこと。後日調べた国立宮殿のウエブサイトで、庭は軍隊の管轄とある。軍関係の施設等はまったく見当たらなかったけど、軍管轄ということが撮影禁止の理由なのだろうか。最初の中庭は、植物園(Jardín Botánico)・砂漠地帯(Zona desértica)としてあった。
 左手に大蔵省所管の建物(Fondo Histórico de Hacienda "Antonio Ortiz Mena")(2)を見て、さらに進み、右手の中央入口の部分に入る。石で舗装され、中央に噴水があるかなり広い中央中庭(Patio central)に行く。噴水の中央上にはペガサス(Pegaso)の彫刻がある。中庭の周囲は3階建ての柱廊である。石材の色のままの柱は石で組んであるような外観をしている。1階の屋根は2階、3階よりも高い。副王時代の為政者の住居はこのあたりまでだったそうである。

(C) 2019 Setsuko H. 中央中庭


ディエゴ・リベラの壁画:中央階段

中央中庭から、ディエゴ・リベラ(Diego Rivera 1886-1957)の壁画がある中央階段へ向かう。この国立宮殿で最も重要な見所がリベラの壁画であろう。中央階段の中央の壁と左右の壁に大きな壁画がある。「メキシコの歴史」(La historia de México)(3)である。2階の回廊にも何枚かの壁画が掲げられている。写真撮影はフラッシュなしでのみ許されていた。
 中央階段は、1階から左右に分かれて2階に登る形である。壁画には人物像などが多く描かれていて、視点を定めることが難しく、視点を動き回らせることでそれぞれの細部を見ることになる。

(C) 2019 Setsuko H.


 中央の低い部分には、鋼鉄製の鎧に身を固め、鋼鉄の刀や槍を持ち馬に乗ったスペイン人征服者たちと、木製か皮製の盾と槍を持ったインディオたちとの戦闘の場面が描かれている。階段を登っていく少し上には大砲や銃、弓矢を撃ち放つスペイン人も描かれている。征服の場面である。その上あたりには、中央に鷲が何かをくわえサボテンに止まっているメキシコの紋章らしい姿が描かれている。鞭を持ったスペイン人に働かされるインディオ、大きな重そうな荷物を背負った姿、十字架を持つカトリック聖職者にひざまつくインディオたちも描かれている。白い服ととんがり帽子姿で杭に後ろ手で縛られた男女が聖職者に追求を受けている異端審問の場面もある。その上は、独立戦争、改革時代、メキシコ革命の場面や歴史教科書に出てくるような人物像の顔が多く描かれている。

(C) 2019 Setsuko H.


 右側(北側)の上がっていく階段の壁には、スペイン人が来る前の先住民社会が描かれている。左下に種族同士の戦闘場面、右から上には、手工業、料理、演奏、舞踏が、真ん中のピラミッドの麓では何人かが指導者を囲んで座っている。指導者は、白い肌で髭があり羽飾りをしていてケツァルコアトルであろう。右上の空中にはこの人物が白い蛇に乗って右手に去っている様子が描かれている。空の他の部分には、神話を想起させる蛇、太陽が描かれている。

(C) 2019 Setsuko H.


 左側(南側)階段壁には、下の方は、農作業をする農民、軍人、本か新聞を読む男女、その上に、労働争議の場面、退廃したブルジュアたち、議論する人たち、研究者らしきひとたちがそれぞれの枠の中に描かれている。寺院の中に聖母グアダルーペの姿も見える。一番上にはカール・マルクスの姿が描かれ、右手で指し示す先に淡い色彩で工場などの建物と造船所、畑などが見える。

正面と北側は1929年から1930年までに描かれ、南側は1935に描かれた。広い壁面とはいえ、先スペイン期から描かれた当時までの時代、そして未来も見据えたメキシコの歴史が描きこまれた画面には圧倒される。多くのことが描きこまれていて、部分部分にどんなことが描かれているのか、メキシコの歴史を思い出しつつ、時間をかけて見ることになる。
 階段を上がって、2階の回廊をまわって1944年から1951年に描かれた別の壁画を見る。

ディエゴ・リベラの壁画:2階柱廊

2階柱廊の壁画技法の説明は、「パネル上のフレスコ」(Fresco sobre bastidor)とある。中央階段の「壁面のフレスコ」(Fresco sobre muro)と異なっている。壁に直接描くのではなく、鉄枠で作ったパネル上に描き、そのパネルを壁に設置したもののようであ(4)。色彩豊かな絵の外には 灰色の明暗・濃淡で描くグリザイユ技法(grisalla)によって先住民の姿などが描かれた部分もある。

「トラテロルコ市場から見た大テノチティトラン」の右の方で、堂々と立ち左上の為政者(もしくは監督官)に視線を投げかける女性はフリーダ・カーロ(Magdalena Carmen Frida Kahlo Calderón, 1907 - 1954)をモデルにしている。
 スペイン人到着前のアステカ王国の首都テノチティトランの絵に続いて、メキシコ各地の各民族の文化を描いた絵が並んでいる。

「絵描きと染物師 - タラスコ人の文化」(Pintores y tintoreros. Cultura tarasca)1942年。タラスコ人は、主にミチュアカン州を本拠とした先住民で、スペイン人征服者が来る前、アステカ王国からの独立を保ちメソアメリカ第2の国であった。

(C) 2019 Setsuko H. 2階柱廊では、入口や柱の間に壁画が飾られている。写っている絵は「絵描きと染物師 - タラスコ人の文化」1942年。


「羽毛細工と金銀細工 サポテコ文化」(Arte plumaria y orfebreria. Cultura zapoteca)1942年。サポテコ人は、現オアハカ州の東部を中心に住んでいた先住民で、モンテ・アルバン遺跡などを残している。

「祝祭と儀式 トトナコ文化」(Fiestas y ceremonias. Cultura totonaca)1950年。エル・タヒン(El Tajín)のピラミッドやボラドーレス(voladores)も描かれている。トトナコ人は、現ベラクルス州などのカリブ海沿岸地域にいた先住民である。

「トウモロコシ ウアステコ文化」(El maíz. Cultura huasteca)1950年。ウアステコ人は、現ベラクルス州北部、タマウリパス州南部を中心とした地域にいた先住民族である。

2階回廊のメキシコ各地の民族を描いた絵は、それぞれ文化的で豊かな生活をしていたように描かれている。これらより小さな面積の絵画ではあるが「ゴム、樹皮の傷つけと樹液採集」(El hule, corte y ordeña. 1950)、「カカオ」(El cacao. 1950)、「アマテとリュウゼツラン」(El amate y el maguey. 1951)と題して、メキシコ各地方の産物の伝統的な収穫や利用を描いた絵も飾られている。
 メキシコ壁画運動が、先住民のピラミッドや神殿に描かれていた壁画文化を現代に復活させることが目的の1つであったことを考えると、メキシコ各地の伝統的文化が描かれていることに納得がいく。

(C) 2019 Setsuko H. 梁をささえる持ち出しのまわりを飾る「アマテとリュウゼツラン」1951年


 また「エルナン・コルテスのベラクルス到着(La llegada de Hernán Cortés a Veracruz)1951年という絵もある。この後、征服戦争や植民地時代に続くメキシコの歴史を描いていく計画があったのかもしれない。

スペイン語語彙地域差

今回のメキシコ旅行で、地域によるスペイン語名称の違いを併記した例をたった2例だが、ドライ・フルーツ(乾燥果実)の詰め合わせ、“Frutas y chocolate”(果物とチョコレート)とある菓子包装紙(メキシコ、コロンビア、エクアドル、チリで製造、輸出先としてペルー、グアテマラ、コスタリカ、エルサルバドル、パナマ、ニカラグアの会社名の記載がある)で見たのでここに書いておく。いずれも前の語形がメキシコで使用されている形である。
 併記の例:nuez de la India/marañón (カシュー・ナッツ)
cacahuate/maní(ピーナッツ,落花生)
 併記してないのは、メキシコとそれ以外の地域で語形が異ならないのだと考えられる。以下の表記が併記なしであった:almendra(アーモンド), arándano(ブルーベリー), chocolate(チョコレート), pasa morena(干しブドウ)。


<注>
2019年2月に旅行し、見聞したことと旅行後に調べたことを書いた。
このページを書くにおいて、
加藤薫『メキシコ壁画運動ーリベラ、オロスコ、シケイロ』1988, 平凡社
『メキシコ・ルネサンス展 オロスコ、リベラ、シケイロス』1989, 名古屋市美術館.
http://www.historia.palacionacional.info/
などを参照した。

(1)  国立宮殿に入るのは筆者3度目、妻は2度目である。1990年には、正面入口から入った。それ以前は、どこから入ったか記憶がない。別の時にソカロに来る機会があった時は、公式行事などがあって見学できなかった。また1990年には子連れであまりじっくり見学できなかったこともあり、今回、予定されていたグアダルーペ寺院やソカロ周辺の別の見学場所を、ガイドのT氏に頼み、国立宮殿にしてもらった。快く変更に応じてくれたT氏に感謝している。

(2)  国立宮殿には、大統領府/官邸、大蔵省、軍隊の3つの政府機関の部分がある。メキシコの街道の中心からの距離を表す起点、ゼロ基点が大蔵省の部分、建物内2階(Nivel 1)にある。建物内、それも2階にあるのがよくわからない。
 他に、ベニート・フアレス博物館(Recinto homenaje a Don Benito Juárez)、最初の国会議事室(Primera Cámara de Diputados)などがある。独立運動の象徴「ドローレスの鐘」(campana de Dolores)や国旗(Bandera Nacional)も保存されているそうである。
 ロス・ピノス(Los Pinos 松)にあった旧大統領官邸は、歴史的文化史跡として公開されているとのこと。筆者を含む日墨交換留学生1期生99名が1971年当時のエチェベリア大統領(Luis Echeverría Álvarez 1922- )に謁見した場所は、野外での緑あふれる広い芝生だったので、ロス・ピノスの敷地内だったかと思う。
 現在のメキシコ立法議会は、サン・ラサロ立法宮殿(Palacio Legislativo de San Lázaro)として、ソカロの東方にある。大蔵省(Secretaría de Hacienda y Crédito Público)の庁舎は、ソカロの南西にある。

(3) 中央階段の壁画は、部分ごとに説明板がある。例えば、右側は、「ディエゴ・リベラ 古代メキシコ 1929年、壁面のフレスコ、65.44 m2、北側壁(あるいは右側)」(Diego Rivera El México Antiguo, 1929 Fresco sobre muro 65.44 m2 Muro norte (o la derecha))とあった。

(4) 「鉄板の枠に下地材を流し込んだパネルを壁に納める技法」(加藤1988, p.166下)



※写真はいずれも2019年2月メキシコにて撮影 [©️2019 Setsuko H.]
2019/4/13 - 2020/5/25.

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