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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

メキシコ   国立人類学博物館 編

堀田英夫

国立人類学博物館 Museo Nacional de Antropología

国立宮殿を見た後、チャプルテペックの森(Bosque de Chapultepec)にある国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropología)に行った。近代的で立派な2階建ての建物である。1階が考古学、2階が民族学の展示室になっている。展示室を歩くと、5kmを歩くことになるとのこと。前身は、国立宮殿北側のモネーダ通り(la Calle de Moneda)の造幣所(Casa de Moneda)の建物にあった国立博物館で、その収蔵品を継承・拡充することで1964年に開館している。
 アステカやマヤの文明を担った先住民の地にスペイン人征服者がやってきて、両者の文化と血の混交によってできたメキシコという国を知るために、是非じっくり訪れたい博物館である。メキシコでは、16世紀以前の歴史や文化・伝統を知るため、考古学や民族学を含む人類学という学問分野が、日本よりもかなり重要視されているように思われる。
 この日は日曜日のため、メキシコ人は無料で入れることもあり、多くの家族連れのメキシコ人が見学していた。

(C) 2003 Hideo H.


2003年訪問時の写真

博物館入口を入った玄関ホールには、右手にルフィーノ・タマヨ(Rufino Tamayo 1899-1991)の「二重性」(Dualidad)あるいは「夜と昼」(La noche y el día)(1)と題する3.53m×12.21mの壁画がある。赤い背景に黄色い太陽と緑色で描かれた羽毛の生えた蛇と青い背景に星や月それにジャガーが描かれ、蛇とジャガーは向き合って口を開け威嚇している。

メキシコ湾岸 先祖のモザイク Golfo. Mosaico ancestral

今回の訪問(2)には、常設展示とは別に「メキシコ湾岸 先祖のモザイク」(Golfo. Mosaico ancestral)と題する特別展示が開かれていた。玄関ホールから展示室の方に行って右手最初の部屋である。ベラクルス州(Veracruz)を始めとするメキシコ湾岸地域の各地の博物館などの収蔵品を集めて、この博物館所蔵品と一緒に展示することで、20近くの異なる言語が話されていて3000年続いたこの地域の多様な文化を7つのテーマで紹介している。
 最も興味深かったのは、「言語」(Lenguaje)というテーマ展示で、メソアメリカで最も古い文字資料とされるカスカハルの石塊(bloque de Cascajal)と紀元前32年の暦が刻まれたトレス・サポーテス(Tres Zapotes)の石碑C(Estela C)である。

(C) 2019 Setsuko H. カスカハルの石塊


(C) 2019 Setsuko H. カスカハルの石塊


 カスカハルの石塊には、28種の記号が、延べ62刻まれている。この石塊は、1990年代に、ベラクルス州南部のオルメカ文化(3)の中心地の1つとされるサン・ロレンソ・テノチティトラン(San Lorenzo Tenochtitlán)にほど近い道路工事現場で発見されたとのこと。同じところから出てきた遺物により紀元前900年ごろのものとされている。
 ただ、考古学調査による発見でないこと、類似の図形が他に見つかっていないこと、後代のサポテカやマヤの文字は縦に読むのに対し、カスカハルの石塊は水平に図形が並んでいることなどから、真偽についても議論がある。紀元前900年のころの文字であるとすると、メソアメリカで最も古い文字資料ということになる。他の資料が発見されていないこともあり解読されていな(4)

(C) 2019 Setsuko H.


トレス・サポーテスの石碑C

トレス・サポーテスの石碑Cは、後オルメカ文化(La Cultura epiolmeca)のものである。後のマヤ文字と同じく、横棒が5、丸が1を表しているので、上から16. 6.16.18という数字が並んでいることがわかる。この上の部分も発見されていて、そこには7の数字があり、現代の暦に換算すると紀元前32年を示す長期暦とのこと。現在までに発見されているメソアメリカで最も古い日付は、同じく後オルメカ文化のチアパス州(Chiapas)チアパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)の石碑2(estela 2)で紀元前36年(7.16. 3. 2.13)なので、トレス・サポーテスの石碑Cは、これに次ぐ古さということにな(5)

メソポタミアの楔形文字、エジプトの象形文字、中国の甲骨文字などの旧大陸の文字とは別に、メソアメリカでも独自に文字が発達した。これまで発見された資料からは、メソアメリカの文字や暦は、メキシコ湾岸のオルメカ、後オルメカから、南のオアハカ州のサポテカ、そして西に進み、グアテマラとその北のユカタン地方のマヤへと受け継がれ発展していった考えられる。今後の発見や研究を期待したい。

常設展示

国立人類学博物館は、広い中庭を囲むように2階建ての展示室が並んでいる。1階には、テオティワカン(Teotihuacán)、トルテカ(Tolteca)、メシーカ(Mexica)、オアハカ(Oaxaca)、メキシコ湾岸(Costa del golfo)、マヤ(Maya)といった主要な文化ごとの展示室がある。今回は、実際に遺跡を見たテオティワカンとマヤの展示室を中心に見てきた。
 展示されているのは、発掘された遺物だけでなく、テオティワカンの部屋にあるような彩色されたケツアルコアトルの神殿(Templo de Quetzalcóatl)などの建物の一部や壁画などもあり、見応えがある。

(C) 2019 Setsuko H. 彩色されたケツアルコアトルの神殿の実物大レプリカ



この博物館の所蔵品としてのみならず、メキシコの国として最も重要な「太陽の石」(Piedra de Sol)または「アステカ・カレンダー」(Calendario Azteca)が、メシーカ(Mexica)の部屋にあ(6)。2メートルぐらいの台の上に立ててある巨大な一枚岩である。博物館のウエブサイトによると、重さ 24.5 トン、直径 3.6 メートルの大きさとのこと。アステカ王国が征服されて後、メキシコ市中央広場(Zócalo)に埋められていたものが、1790年に発見され掘り出され、以後大聖堂の西の塔の壁にはめ込まれなどして公開されていた後、1964年に現在の国立人類学博物館に収蔵された。

(C) 2019 Setsuko H. 太陽の石 Piedra de Sol


中庭 patio central

 中庭(patio central)には、入口玄関ホールに近い方に、この博物館のシンボル的な存在である1本柱で支えられた巨大な屋根がある。屋根は、中庭の左右をほぼ覆っていて、高さは2階建て建物の上まである。柱の周りに上から水が出ている。その落ちる水の下に入る子供がいて警備員が笛を吹いて注意していた。
 中庭の玄関ホールと反対の方向、奥の方には、長方形の池がある。水草が植えられていて、かつてテノチティトランが築かれていた湖を象徴しているとのこと。展示を見て回って疲れた時の休憩場所になっている。
 メシーカ、すなわちアステカの部屋は、正面入口から一番奥にあり、中庭から入る入口の上、梁の部分に、IN ITENYO IN ITAHUCA IN MEXICO TENOCHTITLAN / GLORIA Y FAMA DE MEXICO TENOCHTITLAN(メヒコ・テノチティトランの栄光と名声)とナワトル語とスペイン語の大きな表記があった。

(C) 2019 Setsuko H.


メシーカ展示室入口上の表記

今回の訪問時はパスしてしまったが、2階には、メキシコ各地の民族の伝統的衣装や祭りの衣装、家屋、道具が展示されていて生活や生産の様子を知ることができる。

国立人類学博物館の見学後、ホテルに送ってもらい、帰国便に乗るためメキシコ市空港へ行くまで休憩した。空港で深夜日付が替わってからの成田行きに搭乗し、今回のメキシコ旅行が終わった。


<注>
2019年2月に旅行し、見聞したことと旅行後に調べたことを書いた。
このページを書くにおいて、
Guía oficial. Museo Nacional de Antropología, Instituto Nacional de Antropología e Historia-Salvat Mexicana de Edicones, S.A. de C.V.,1988.
Museo Nacional de Antropología, Silvia Gómez Tagle, México, s/f.
https://www.mna.inah.gob.mx/
https://museobancodemexico.mx/secundarias/linea%20el%20dinero.html
などを参照した。

(1) 『ルフィーノ・タマヨ展』名古屋市美術館, 1993.p.67 & p.154.に「二重性」のタイトルで、1964年製作とある。Guía oficial. Museo Nacional de Antropología, Instituto Nacional de Antropología e Historia-Salvat Mexicana de Ediciones, S.A. de C.V.,1988.p.14にはLa noche y el día(昼と夜)とある。
ルフィーノ・タマヨは、メキシコ同時代の民族主義的、社会主義的壁画運動とは距離を置いて、主にタブロー画によって民族性と同時に国際性を追求した。
 館内には、タマヨ以外の作家による壁画が、いくつかの展示室に飾られている。

(2) 国立人類学博物館には何度か訪れる機会があった。直近では、筆者2003年、妻は1990年である。

(3) オルメカ文化は、ベラクルス州南部にあった文化で、巨大人頭石像(cabezas colosales)や石や陶器の人物像などの遺物で知られている。
 サン・ロレンソは、メキシコ湾に注ぐコアツアルコアルコス川(Río Coatzalcoalcos)による水上交通の要地に位置し、紀元前1500年ころから人が住み紀元前900年ころが最盛期を迎え、その後しばらくして放棄された。

(4) 八杉佳穂「漢字仮名交じり表記考」『国立民族学博物館研究報告』33(2), 139-225, 2009
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3944&item_no=1&page_id=13&block_id=21
に、中米の文字体系についての知見を含めた文字と表記法全般についての考察で、文字は、歴史的に表意文字から表音文字に進化するという旧大陸の常識が間違っていることが指摘されている。カスカハルの石塊だけではなんとも言えないけれど、もし記号が28種だけならば表音文字の可能性がある。同じ記号が刻まれた他の資料が今後多く発見されることを期待したい。
 カスカハルの石塊よりも年代的に後の時代の文字は、オルメカ文化を継承し、紀元前300年から紀元後250年にベラクルス州中部でパパロアパン川(río Papaloapan)沿いにあった後オルメカ文化(La Cultura epiolmeca)の文字である。音節文字であり、部分的に解読されたと発表されている。
https://es.wikipedia.org/wiki/Escritura_epiolmeca
見たところ、カスカハルの石塊の記号との一致あるいは類似は、長方形の2,3の記号の他は、無いようである。

(5) ちなみにマヤ最古の暦のある石碑は、グアテマラのティカル(Tical)の石碑29号で8.12.14. 8,15で、西暦292年なので、チアパ・デ・コルソやトレス・サポーテスなどの日付よりも300年以上後である。

(6) コイントス(volado)、すなわちコインを回転させ上げて落ちた時、どちらの面を上にして止まったかを推測することにより、2者の間の順番や勝敗を決める方法がある。日本語の「表か裏か?」という表現では、コインのどちらの面が表なのかをあらかじめ2者で共有しておく必要がある。メキシコでは、この時、¿Águila o sol? (鷲か太陽か?)という表現を使ので、どちらが表か裏かの認識は必要ない。コインの片面に鷲が描かれているからである。ただメキシコの中央銀行であるメキシコ銀行(Banco de México)は、鷲が刻まれている面が表(anverso)で、鋳造年(año de acuñación)や価格などが刻まれている面を裏(reverso)としている。
この裏面をsol(太陽)と言うのだが、現行の貨幣に刻まれているのは太陽ではなく「太陽の石」の図像の部分である。メキシコが独立して樹立された共和国政府が1823年に発効した銀貨には、自由の象徴であるフリジア帽子の周りに太陽光線が描かれた。太陽光線は共和国の栄光を象徴するそうである。以後、第二次帝政時代(Segundo Imperio 1864-1867)を除いていくつかのデザインで太陽光線が刻まれていたため、これが ¿Águila o sol? (鷲か太陽か?)という表現のもととなった。
1993年の貨幣単位切り下げに伴って発行された新しい硬貨から、裏面に「太陽の石」の図像が刻まれている。全体ではなくその異なった部分が金額ごとの硬貨に表されている。10ペソ硬貨は、最も重要な部分を表している。すなわり太陽の石の中央部、太陽の神トナティウ(Tonatiuh)の顔、周りの土の太陽の時代、風の太陽の時代、火の太陽の時代、そして水の太陽の時代を表す絵文字などを囲む円形部分が描かれている。
嘉幡茂『図説マヤ文明』2020 河出書房新社. 「コイントスから見るメキシコ考古学」(pp.95-97)
https://www.emimendoza.com/piedra-del-sol.html
https://museobancodemexico.mx/secundarias/linea%20el%20dinero.html
https://periodicooficial.jalisco.gob.mx/content/historia-de-la-moneda-y-del-billete-en-mexico



※写真は2003年8月と2019年2月メキシコにて撮影したもの [©️2003 Hideo H.],[©️2019 Setsuko H.]
2019/4/21.- 2022/5/5.

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