トラケパケへ行った翌日、グアダラハラ市内を散策し、地方博物館(Museo Regional de Guadalajara)を見学した。1742年から16年を費やして、神学校として建てられたバロック様式の建物である。独立戦争時には兵営としても使われたそうである。19世紀後半には州立の図書館・男子中等学校として使われ、1918年から美術館・博物館となった。1976年に現在の、グアダラハラ州の地方博物館として開館した。きれいな中庭を1階と2階で回廊が囲む建物に、スペイン人が来る前にハリスコ州に住んでいた民族の文化・歴史、それに17世紀から20世紀までの絵画・彫刻の美術品、衣装、馬車、船、大砲などが展示してあった。先スペイン期の文化として竪穴式墓(tumba de tiro)文化の出土品を展示している。
竪穴式墓の文化は、紀元前200年頃から紀元後600年頃まで、ハリスコ州を中心にナヤリト州、サカテカ州、コリマ州およびミチュアカン州の一部まで広がっていた。2mから時に20mまでの深さの竪穴とそこから続く横穴に埋葬するという伝統を持っていた。発掘された人物像や壷は、アステカやマヤのものとかなり異なっているように見える。
地方博物館の中、2階の回廊で
出土品の展示
グアダラハラの後、グアナフアトへ行くことにしていたので、滞在していたホテル客室内のコンピュータでグアナフアトのホテルを検索し、メールで問い合わせなどやりとりをした後、あるホテルを予約することができた。
それでこの日、タパティア広場に面していた旅行代理店で、グアナフアト行きのバス切符を購入した。
テキーラ村へ行った翌日には、グアダラハラ動物園(Zoológico Guadalajara)へ行った。動物園行きの路線バスに乗ったけれど、バスは、だいぶ手前で停まり、砂埃の舞う郊外の道を、かなり歩いてようやく動物園入口までたどりついた。動物園へ行く現地の他のバス乗客も同じところで降ろされて歩いていたので、我々だけがバスを降ろされたわけではない。
スペイン滞在中の旅行やメキシコへの家族旅行で、子供連れだったとき、観光地だけでは、子供達が興味を示さないことが多かったので、子供達のためにも、訪問した都市にある動物園や遊園地をよく訪れていた。地元の家族連れやカップルが多く来ていて、観光地とは異なるその土地の雰囲気を味わうことができた。今回は我々夫婦だけではあるが、日程に余裕があったので、グアダラハラでも動物園に行った。
ここは、非常に広い敷地に、オーストラリア、アフリカ、熱帯林の主に3つの区域があり、水族館(acuario)、鳥類館(aviario)、爬虫類館(herpetario)などがあった。それぞれの国の動物園で、その土地でしか見られない動物は、あまり多くないように思われる。地元の人たちにとって珍しい動物を集めるためだろうか、遠く離れた地から連れてきた動物を見せていることが普通である。このグアダラハラ動物園でも熱帯林(Selva Tropical)区域にメキシコも含むアメリカ大陸の動物が何種類かいた程度である。
動物園の入口から入ってずっと奥へ行くと、ウエンティタン峡谷(Barranca de Huentitán)を見る展望台がある。標高1520mから1000mの高地にあり、1136ヘクタールで平均600mの深さの峡谷である。スペイン人による征服の時には、征服者たちと先住民ウエンティタン人との戦闘の舞台となり、20世紀初めのメキシコ革命(Revolución mexicana 1910-1917)とそれに続くクリステーロの乱(rebelión cristera 1926-1929)(1)でもここで戦闘が行われたそうである。また、多様な動植物が生息していることで、1997年には、生態保護地帯(Zona Sujeta a Conservación Ecológica)として自然保護地域に指定されている。
筆者は、1971-72年に日墨交換留学生としてメキシコ、ベラクルス州ハラパ市に滞在した際、グアダラハラ市とその近辺も休暇に旅行した。この峡谷を背景に当地の同期留学生と一緒に写っている写真が手元にある。1988年開園のここの動物園は、当時まだなかった。
動物園の奥で眺められる峡谷
この動物園にも入口近くに等身大よりも大きいキリスト生誕飾り(nacimiento)が飾ってあった。東方の3賢人の服装も含め、中東風の風景の再現であった。