グアダラハラからグアナファト州の州都グアナファト市へバスで移動した。バスターミナルからホテルに行くためタクシーで値段を尋ねたら40ペソ(12月29日メキシコ市空港での日本円両替レートで1ペソ12.5円なので約500円)とのことで、乗り込んだ。するとことわりもなしに近くのガソリンスタンドに寄って給油してからホテルへ向かった。値段を決めていたので寄り道しても料金には問題ないとはいえ、たまたまガソリンが少なくなっていたのだろうか。
グアナファトでは、7泊し、町をかなり歩きまわった。着いて翌日、訪れたのは「ラ・パス広場」(Plaza de la Paz 平和)とそこにある「グアナファトの聖母バシリカ教会」(Basílica Colegiata de Nuestra Señora de Guanajuato)、そしてフアレス劇場(Teatro Juárez)などである。ホテルは町の北西の端にあり、町の中心までかなりの距離ではあったが、かろうじて歩いて行けた。ただ行きはよかったが、帰りはゆるやかな登り坂が続き、かなりきつかった。
ラ・パス広場。右にバシリカ教会が見え、その手前に立つ像は、平和記念碑。広場中央あたりには4本の柱が立てられその中にナシミエント(キリスト生誕飾り)があった。
周りに市庁舎(Palacio Municipal)、議会(Palacio Legislativo)と19世紀に建てられた大きな屋敷が立っている。マヨール広場(Plaza Mayor)とも呼ばれるこの広場がかつては町の中心であった。多くの他の町にある4角形の広場とは異なり、傾斜地上の3角形の広場である。独立戦争終結を記念した平和記念碑(Monumento a La Paz)が立っている。
「グアナファトの聖母バシリカ教会」は、鉱山主達が資金提供して、1671年から25年かけて建設され、1957年にバシリカ(Basílica)の地位が法王庁から授けられたとのこと。中に祀られている町の守護聖母の像は、スペインのカルロスI世とフェリペII世から1557年に贈られたそうである(1)。
グアナファトの街中
「ラ・ウニオン庭園」(el Jardín de la Unión 連合)の近くの町中にある。前の通りから階段を何段か登ったところに建っている。入り口正面の玄関には、ギリシャ建築のかなり太く背の高いドーリア式柱が、前面に6本、その後にも同数立っていて屋根を支え、屋根の上には人物像の彫刻が 正面よりに6体立っているのが見える。芸術と科学のギリシャの女神9体の内の8体が立っているのだそうである。1人35ペソを払って中に入った。内部はとても豪華な造りになっている。観客収容人数900人余りとのことでそれほど大きな劇場ではない。しかし、建物は外観が新古典主義様式、内部は、折衷主義様式の立派な建造物で芸術的に豪華な造りになっている。
1872年から1903年にかけて建設され、 こけら落としには、ベルディの「アイーダ」が上演され、当時のポルフィリオ・ディアス大統領も列席したそうである。メキシコの歴史上「改革時代」(Reforma)を率いたベニート・フアレス大統領(Benito Juárez 1806 - 1872)の名を冠している。
この劇場が、1972年から国際セルバンテス・フェスティバル(Festival Internacional Cervantino)の主会場となっている。国際セルバンテス・フェスティバルとは、毎年秋にここグアナファトで、世界各地から招待されるなどして来た劇団や楽団、舞踏団による公演が繰り広げられる芸術の祭典である。会場は、フアレス劇場の他の市内の2つの劇場や広場などいたるところであるらしい。このフェスティバルは、金・銀鉱山の利益で豊かなグアナファトの中上流階級の文化的欲求を満たすため、町で演劇などの文化活動が行われていた伝統を受け継ぐものだそうである。
フアレス劇場内部
ドン・キホーテ(Don Quijote 1605, 2a parte:1615)をテーマとした彫像や絵画など、様々な造形作品が展示してある。個人の収集品であったものがグアナファト州政府へ寄贈されたことにより、1987年に、当時のスペインの首相フェリペ・ゴンサレス(Felipe González 1942 - )とメキシコ大統領ミゲル・デ・ラ・マドリード(Miguel de la Madrid 1934 - 2012)によって開館式が執り行われたそうである。
スペインの作家セルバンテス(Miguel de Cervantes Saavedra 1547 - 1616)の名を冠した国際セルバンテス・フェスティバルがここメキシコのグアナファトで毎年開催されていることから、この博物館が設けられたのだと思う。では、なぜセルバンテス・フェスティバルがここで開催されているのだろうか。
スペイン語圏として、ラテンアメリカの作家の何人かが、セルバンテスやドン・キホーテの影響を受けていたり、メキシコでもセルバンテスなどスペイン文学の研究が盛んに行われてきていることを考えれば不思議ではないと思われる。
また、セルバンテスのドン・キホーテは、例えば、2002年にノルウェー・ブッククラブが世界54か国の文学者100人にアンケート調査して選んだ歴史上最高の文学作品100タイトルを順位を示さず発表した際、特別に1位であることが言及されたほどの重要な作品である(2)。今まで、文学のみならず、絵画や彫刻、演劇や映画など、あらゆる分野で世界的な影響を与えてきている。このことからすれば、世界中のどこの都市であろうとセルバンテス・フェスティバルが開催されたりドン・キホーテをテーマとする博物館があってもおかしくない。
中庭を囲む回廊2階の展示
鉱山の利益で豊かなグアナファトでは、昔から演劇などの芸術活動が町で開催されてきた。その一部としてグアナファト大学のEnrique Duelesという人により1953年からセルバンテスの幕間劇(まくあいげき)(entremeses)を上演してきたという歴史的背景がある。そして1972年から国際セルバンテス・フェスティバルの名で毎年芸術的祭典として開催され、多くの観光客や芸術家たちを迎え入れている。1975年にはイギリス女王夫妻、1978年にスペイン国王夫妻などの要人も出席していて、2014年には慶長遣欧使節団が現在のメキシコを訪れてから400年になるのにあわせて、秋篠宮ご夫妻が開会式に出席し、和太鼓演奏などの日本からの芸能披露もあったとのことである(3)。
ピピラの展望台(Mirador del Pípila)に登るためにケーブルカー(Funicular)の乗り場を捜した。フアレス劇場の裏手にビルが2, 3立っているような中にその乗り場はあった。料金表には片道15ペソ(5の数字は紙で貼ってある)、往復が伝説博物館(Museo de Leyendas)の入場券込み35ペソ、博物館入場料が15ペソとある。住民は片道6ペソとあり優遇している。せっかくなので博物館入場料込みの往復切符を買った。ケーブルカーで上に上ると博物館入り口があり、土産物店などの商店が並んでいる建物内をすすむとさらに上に登る階段がある。丘(Cerro de San Miguel)の上は展望台になっていてる。展望台から眺めるグアナファトは、赤、青、黄色、緑、紫、ピンク、オレンジなどカラフルな家や建物が、雲ひとつないメキシコの青い空に映えてとても美しい。ちょっと登っただけのように思うが、町が隅から隅まで見渡せるようである。展望台の上にある巨大なピピラの像(Monumento al Pípila)の内部をさらに階段で登ることができる。妻だけが登ったが、きれいにしてないガラス越しに眺めるため、写真映りが悪く、カップルが何組か登ってきていただけだったそうである。ピピラとは、独立戦争におけるグアナファト攻防戦での英雄と讃えられる人物、近隣の鉱山の鉱夫の一人の通称である。この戦闘については別のページで書くことにする。
伝説博物館には、ピピラの言い伝えとか、口付けの小道の伝説などの一場面が、等身大の人形で展示してある。照明や音響と人形が一部動くようになっているけれど、クオリティは、場末の見世物小屋という感じであった。ガイドが我々夫婦とメキシコ人のカップルを相手に説明していってくれた。
中央手前、赤いドームがあるのが聖ディエゴ聖堂でその向こうにあるのがラ・ウニオン広場。左手、黄色の大きな建物がバシリカ教会。
バシリカ教会の向こう側に見える大きな白い建物がグアナファト大学。大きな階段も見える。
グアナファトの町と近郊の鉱山が「歴史的都市グアナフアトと近郊の鉱山群」(Ciudad histórica de Guanajuato y minas adyacentes)という名で世界遺産に登録されている。ユネスコのサイトには次のように説明してある(4)。
15世紀にスペイン人によって作られたこの町は、18世紀には、世界第一位の銀を産出する中心地になった。かつての鉱山のなごりは、町の下を走る「地下道路」(calles subterráneas)や、600mもの深さの鉱山入り口「地獄の口」(Boca del infierno)に見られる。鉱山の富で建設されたバロックや新古典主義の建物やその装飾は、メキシコの中心部の大部分の建築物に影響を与えた。イエズス会の教会やバレンシアナ教会は、中南米のバロック建築の最も美しい教会に数えられる。またグアナファトはメキシコの歴史を方向付ける出来事が起きた場所でもある。