スペイン語圏諸国の中で国王(rey)が存在するのはスペインのみで、現国王は、フェリペ6世(Felipe VI)である。 1968年生まれで、1977年から王位継承者としてアストゥリアス公(príncipe de Asturias)の称号を授与されていて、1986年に立太子、2014年に国王に即位している(1)。
2004年7月に、筆者は、メキシコのモンテレイ市で、当時のフェリペ皇太子とレティシア皇太子妃に、また2017年4月には、東京でフェリペ6世国王に謁見を許されている。
2004年7月にメキシコのモンテレイ工科大学(El Instituto Tecnológico y de Estudios Superiores de Monterrey. ITESM)で、国際イスパニア学会第15回大会(XV Congreso de la Asociación Internacional de Hispanistas)が開催された。「イスパニア学会」の「イスパニア学」とは、スペイン語学研究およびスペイン・中南米の文学研究、それにこれに関連する学問研究を意味する(2)。フェリペ皇太子と皇太子妃がメキシコの公式訪問の一部としてこの大会開会式に出席された。当時の国際学会会長(presidenta)アウロラ・エヒード氏(Aurora Egido Martínez 1946- 当時サラゴサ大学教授、現在スペイン王立学士院会員)の尽力によるものと思われる。この大会の一部として第1回各国イスパニア学会会長会議(el Primer Encuentro Internacional de Presidentes de las Asociaciones de Hispanistas)も開かれた。たまたまの巡り合わせで、筆者は当時日本イスパニヤ学会(3)(la Asociación Japonesa de Hispanistas)の会長に選ばれていたためこの会議に参加した。そして、この会議メンバーとして皇太子・皇太子妃への謁見の機会があった。
モンテレイ工科大学の建物の一つで、5日間に渡り各国イスパニア学会会長会議が開かれた1日、会議の後、皇太子・皇太子妃との謁見を許された。参加メンバーが並んで立っている前を皇太子夫妻が歩いていかれ、メンバー各人に握手をして挨拶を受けていかれた。何を代表して来ているのかの自己紹介をするようにという指示だけを直前に受けていた。その後、参加者との懇談の時間があり、日本へ来られることがあるかどうかを筆者がおたずねしたところ、来年、すなわち2005年の愛知万博に来られるということを話された。
モンテレイ工科大学(ITESM)のデジタル雑誌TRANSFERENCIA, 2004年10月(17年68号)(Año 17・Número 68・Octubre de 2004)の「イベロアメリカ諸国のコミュニティは存在するか?」(¿Existe una Comunidad Iberoamericana de naciones?)という記事に、国際イスパニア学会大会の紹介があり、皇太子・皇太子妃謁見の集合写真が掲載されている(p.2)(2023年1月参照ウエブ掲載pdf版は4頁目で白黒写真):
https://repositorio.tec.mx/handle/11285/572842
フェリペ6世スペイン国王夫妻は、2017年4月に日本へ公式訪問された。いくつかの公式行事の中の一つとして、スペイン語研究・スペイン文化研究に従事する者およびスペインとの友好団体主宰者への謁見があった。これも日本イスパニヤ学会の元会長として、セルバンテス文化センター東京の館長のリーダーシップによる日本におけるスペイン語教育研究振興についての集まりに参加したことがあったため招待されたのだと思う。
東京での謁見の写真掲載のサイト(スペイン国王室アカウント Casa de S.M. el Rey によるもの):
https://www.scoopnest.com/es/user/CasaReal/849915038114627584
皇太子との謁見の際には、それほど意識していなかったのだが、国王に対して、どのようなスペイン語を使ったら良いのか頭を悩ませた。駐日スペイン大使館からは、謁見に際して、国王陛下には、名前と代表する団体名を伝えるようにという指示があったのみである。「日本語・スペイン語の通訳あり」ともあるので、日本語でも良いのではあるが、スペイン語の教育研究に長年たずさわってきた筆者としては、スペイン語以外で話すことの選択肢がなかった。
国王や皇太子など、王族への待遇表現(tratamiento)は、1987年政令1368号(Real Decreto 1368/1987)に規定してある。この規程によると、Rey(国王)またはReina(女王)には、Majestad(陛下)を使うとある(1条1)。王位継承者には、Alteza Real(殿下)を使う(2条)とある(4)。
これらから、一般の待遇表現の人称代名詞としての usted(あなた様)や tú(君、あなた、お前)ではないということがわかる。ただ、Majestad を使うとして、話し相手の場合、動詞はどんな形に一致させれば良いのか。目的格や所有形容詞はどんな形を使うのかがこれだけではわからない。
スペインの新聞ABCのAl Rey solo le tutea su familia; los demás le tratan de «Señor» o «Majestad»(国王にはご家族が tú(と2人称単数形)を使うのみ、他の者は、Señor または Majestad を使う)という記事によると、Majestad を使うとき、動詞は2人称複数形を使わなければならないとある。例文として “Majestad, no creáis que hemos desistido en el empeño.”(陛下、私たちが目的達成をあきらめたとは思わないで下さい)があがっている(5)。creáisという動詞がcreer(思う)の接続法現在2人称複数形である。話し相手1人に、2人称複数形動詞を使うのは、スペイン語学で voseo reverencial(敬語のvoseo)という用語で呼ばれる語法で(6)、中世スペイン語以来の敬語として vosとその系列の人称代名詞を使う表現と同じである。現代スペイン語で、スペインでは親しい話し相手、2人以上を意味する vosotros, vosotras を使うときとも同じ動詞形となる。
Majestad の代わりに、Señor を使い、usted と同じ3人称単数形動詞を使うのでも良い、ただし usted を使ってはいけないともある。例文:“el Señor estuvo ... se comprometió...”(陛下が...あられ ...約束された...) estuvo と se comprometió は、どちらも3人称単数形動詞である。文中で主語として使われているので定冠詞 el が付いている。一般的な敬称の señor も呼びかけではいらない定冠詞が文中では必要となる。
Majestad も多用することは大げさになるので、最初1度使い、その後は、Señor を使うようにとも勧めている。
Cronis OnLine の Protocolo y Etiqueta(プロトコールとエチケット)というサイトの儀式でのことばでは、王あるいは女王に話すには、Su Majestad あるいは Vuestra Majestad (陛下)を使う。話しの中で、言及するには、Su Majestad el Rey(国王陛下)あるいは su Majestad la Reina(女王陛下)を使うとある。
これらの記述だけからは、外国語としてのスペイン語を学んでいる者には、よくわからない部分がある。国王・女王に関しては、以下のように解釈できる。
Majestad と Señor は厳粛度において差があり、前者は後者よりもより厳粛な表現。
Majestad の厳粛度であれば、Majestad を文頭や文末で、呼びかけ的に使う。呼びかけでは Vuestra や Su は付けない。動詞形と代名詞は、2人称複数(voseo reverencial)にする。主格・前置詞格の vos は使わない。代わりに Vuestra majestad を使う。この語句が主語の場合、動詞は3人称にするのだと思われる。
Señor の厳粛度であれば、Señor の語は、呼びかけ的使用。文は、usted の時の表現、すなわち3人称動詞形および代名詞を使う。ただし、usted の語形は使わないで、代わりにその部分に el Señor を使うということのようである。
儀礼における発話で、3人称としての王に言及するときは、主格・前置詞格で Su Majestad el Rey を使い、3人称動詞形・代名詞を使う。
最初 Majestad を使い、後は Señor を使うというのは、厳粛さを持って話し始め、会話が進む中で、親しさを示すために厳粛度を1段下げる発話ということのようである。これはある程度の時間がある会話と考えられる。2人称複数から3人称単数へと変えることは、待遇表現の変更として何らかの意味解釈を伴う可能性があるので注意が必要である(7)。
東京での謁見では、国王と個人的な会話をする機会はなかった。直前にリハーサルをしたり、贈り物がある場合は手渡しはダメで事前に係りの者に渡すようにとの指示があるなど、皇太子の時よりもはるかに厳格さが求められた。国王が待っておられる部屋に我々が一列の行列を作って、国王の前に進み、握手をする。続いて、集合写真の撮影の後、各人が国王の前で、氏名を名乗り、何の資格で謁見を賜っているのかを話した。多勢の参加者がいて順番を待っていたこともあり、長く話しをすることはできず、国王からの個人への声かけもほとんどなかった。全員が話しを終わった後、国王から、スペイン語の教育研究それに日本・スペイン友好団体の重要性を認識しているとの全員への話しがあり、謁見の会は終了した。
スペイン現行憲法(1978)第2編56条から65条までに王位について規定されている。
「第56条1. 国王は、国家元首であり、国の統合および永続の象徴であって、諸制度の正常な機能を総欖し、かつこれを調整する。国王は、国際的特にスペインと歴史的共通性を有する諸国との関係において、スペイン国の最高代表権を有し、憲法および法律が明示的に与える職務を行う。」(8)
この条文の中の、「特にスペインと歴史的共通性を有する諸国」という語句は、昔スペインの植民地であって、現在スペイン語を公用語としている中南米諸国などを意味する。そのためスペイン王室は中南米諸国との関係を重視していて、その一つとしてメキシコ・モンテレイでの国際学会の開会式を皇太子が主宰したと考えられる。
また憲法62条、「国王の権能」の一つで、「王立アカデミーの最高保護者」(El Alto Patronazgo de las Reales Academias.)が規定されている。「王立アカデミー」(王立学士院)と聞くと、1714年設立のスペイン王立学士院(Real Academia Española)がまず思い浮かぶ。スペイン語の規範を示し、言語としての発展を目指す目的を持ってスペイン語の調査研究活動を続けている。王立学士院は、最も新しい1994年設立の工学王立学士院(Real Academia de Ingeniería)を含め、法学や医学など、スペインに現在9つ存在する。ただ、スペイン語の王立学士院が、名称からして「スペイン語」という領域を示すことなく知られているように、また創立年の古さから、多くはリストの最初にあげられる。そして王室は、スペイン政府と並び、スペイン語の教育研究の支援にかなり力を入れているように思われる。スペイン政府が、スペイン語の振興と教育、スペイン語圏文化の普及を目的としてセルバンテス文化センター(Instituto Cervantes)を44カ国87カ所に設立しているのもその表れである。
前国王フアン・カルロス1世の祖父アルフォンソ13世は、その在位期間中、国内外の危機的状況が続き、1931年の地方選挙で王制を支持する側が大敗したため、フランスへ亡命した。内戦後、フランコ(Francisco Franco Bahamonde 1892-1975)が国家首長を務めた期間は、国王は不在であった。1975年にフランコが死去すると、1948年にイタリアから帰国していたフアン・カルロス1世が国王として即位した。即位当時、スペインでは君主制を支持する人たちは少数派であり、多くの人は、フランコの独裁体制の継続を警戒していた。しかし、フアン・カルロス1世は、スペインの民主化に力を注いたことで、徐々に国民の支持を得ていった。特に1981年2月の治安警備隊がピストルを構えて議会占拠した際、民主化擁護をテレビによって国民に訴えたことで国民の支持を得た。
フアン・カルロス1世は、共産党を含む野党など、広くスペイン国民の支持を得ていて、スペインという国をまとめる精神的役割を果たしていた。しかし、失業率23%など、スペイン国民が経済危機にあえいでいる最中の2012年に、多額の費用がかかる象狩りに行っていたことが発覚したことなどにより、国民の支持を失い、2014年に退位することになった。そして、フェリペ6世が即位したのである。