ブルゴス到着3日目に、ラス・ウエルガス(1)修道院に我々夫婦だけで行った。修道院は、シトー会女子修道院で、1187年にカスティーリャ王アルフォンソ8世(Alfonso VIII)と女王レオノール(Leonor)によって設立されたとのこと。1人5ユーロでガイドツアーで見学である。重厚な壁で囲まれていて、お城にあるような塔も見える。どこの教会や修道院でもそうであるが、回廊は、外界と遮断され静かで落ち着いた空気をかもしている。
内部の祭壇の1つ
回廊
修道院の見学後、近くを散策し、アルランソーン川(Río Arlanzón)沿いの遊歩道に並んでいる屋台を見ながら、ホテルまで歩いて帰った。
ブルゴス市から東へ15kmのところにアタプエルカ遺跡(Sitio arqueológico de Atapuerca)がある。山脈の洞窟から、ヨーロッパに最初に定住したおよそ百万年前からの人類の化石や遺物が多く発見されている。このことから2000年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。
18時30分のガイドツアー予約を友人MCがとってくれていた。スペインの夏なのでまだ日は高く、あたりは明るい。MCの友人の車2台で、計8人が、近くの村までぎりぎりの時間に行った。そこで遺跡行きの専用バスに乗り換えて遺跡入り口まで行く。見学者用のいくつかの色のヘルメットを、使い捨ての白いキャップの上に全員がかぶって遺跡の見学となる。19世紀末に鉄道建設のために山を削って約1kmの長さで20mの深さの谷が作ってあり、そこからヨーロッパ最古の人類の化石などが発見され、発掘調査されているのである。見学はその人工の谷に沿って、「象の洞窟」(Sima del Elefante)、「地下溝」(Galería)、「大陥没穴」(Gran Dolina)と名づけられたスポットを巡る。崖のようになっている谷の壁の近くに足場が組んであって、発掘現場となっている。洞窟の中に入ると人形で昔の人類の生活していた場面が再現されている。CGによる映像の説明もあった。
「大陥没穴」(Gran Dolina)から、80万年前の石器と骨の化石が発見された。ここで生活していた西ヨーロッパ最古のヒト科のものと認められ、ホモ・アンテセソール(Homo Antecesor 先祖)と名づけられた。アタプエルカで発見された新種である。
「骨の洞窟」(Sima de los Huesos)からは、約30万年前のホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo Heidelbergensis o Preneanderthal)のものや約4万年前のホモ・サピエンス(Homo Sapiens)の骨の化石や遺物、それにさらに後代の新石器時代と巨石文化の定住跡も発見されているそうである。
最古のヒト科から、現世人類の直接の先祖の骨や遺物、壁画などがこのアタプエルカで発見されていて、人類の身体の進化や、生活様式の歴史まで、知ることのできる考古学遺跡とのことである。
工事現場のような発掘現場
アタプエルカ遺跡見学後、ブルゴスに戻り、夜10時から総勢8人でレストラン・アソフラ(el Azofra)で我々の招待で夕食を食べた。スペイン人が皆注文する食前、食事中、食後のお酒につきあうのも大変である。妻はお酒が飲めないので筆者のみがワインだけつきあった。レストランを出たのは翌日午前1時過ぎで、ホテルに帰りついたのは、午前2時近くである。スペイン人の生活時間に合わせるのは体力が必要だ。良いホテルだったのに、ホテルでは寝るだけで、部屋でのんびり過ごすことができなかったのは残念だった。
ブルゴス到着4日目(土曜日)に、友人MC達が、レルミリャ村(Lermilla)というところに車で連れて行ってくれた。限界集落、あるいは廃村といってもいいくらいのところである。スペイン人の社交の中心バル(bar)があって営業しているが、訪問者がお金を出し合って運営しているそうである。飲物を飲むと自分でその料金を払う。村の昔の写真が壁にたくさん飾ってあった。ちょっと離れたところに教会(iglesia parroquial 教区教会 San Esteban Protomártir)があった。立派な教会で祭壇も装飾が綺麗で花も飾ってあった。ただ他はまだ修理が必要に思われた。見学した時は無人で、司祭は、特定の日のみにやってくるのだそうである。村の中や周りを散策したのだが、商店もないし、村人の姿は見かけなかった。
バーベキューの昼食の後、ブルゴスへ帰った。バーベキューの食材や場所代がどういうシステムになっているかは聞きそびれた。
バルの中 自分が消費した分を記入している
レルミリャ村の教区教会
ブルゴスでの最終日、ホテルをチェックアウトしてから、荷物を預かってもらい、我々夫婦で歩いて近くのブルゴス博物館(Museo de Burgos)に行った。日曜で無料だった。
貴族の屋敷だったところで、16世紀のプラテレスコ様式(銀器の紋様を想わせる精巧な浮彫壁面装飾の様式)の中庭があり、先史時代のアタプエルカ遺跡の遺物(2)、鉄器時代の発掘品から、現代絵画までの展示品がある。
午前11時過ぎに入ったのだが、午後1時に閉まった。川沿いにあるベンチで休憩した後、市バスに乗り、友人MCの家へ行って、MCのお母さんとお兄さん一家と一緒に昼食をご馳走になった。
友人MCと市バスでホテルに戻り、預けておいた荷物を受け取る。バス・ターミナルへ歩いて行って、MCに見送られ19時15分発のヒホン(Gijón)行きバスに乗った。
マドリードに家族(我々夫婦と幼稚園児の子供2人)で1年間(1984-5)滞在していた時、6月にブルゴスでお祭りがあるからと友人MCに誘われ、家族4人でレンタカーでマドリードからブルゴスとそこからさらに北へ旅行した。
サン・ペドロとサン・パブロの祭り(Fiestas de San Pedro y San Pablo)で、ずんぐりしたユーモラスな大人形(el gigantillo y la gigantilla)とエル・シッドなどの巨大な人形(los gigantones)が有名である。どちらも中に人が入っていて練り歩いたり、踊ったりする。
友人MCの家で3泊し、初日は、中心街(Centro)、エル・シッドの騎馬像(Estatua del Cid)、ミラフローレス修道院(Cartuja de Miraflores カルトゥジオ会修道会)、サン・ペドロ・デ・カルデーニャ修道院(Monasterio de San Pedro de Cardeña)を見学し、移動遊園地へ行った。
翌日には、ブルゴス大聖堂、聖マリアの城門(Arco de Santa María)、巡礼団の宿泊所(Albergue de Peregrinos)と病院などを見学した。夕方から夜には、お祭り見学と屋台での飲食をした。バルでガラス製のポロン(porrón ガラス製の容器で細い注ぎ口から中のワインを流して、口で受け止めて飲む)による回し飲み、お祭り会場でモルシーリャ(morcilla 豚の血に香辛料や米を加えた腸詰め)も食べた。
次の日には、ブルゴスから南へ40kmくらい行ったところのコバルビアス(Covarrubias)村に行き、聖コスメと聖ダミアンの参事会教会(Colegiata de San Cosme y San Damián)、シロスの聖ドミンゴ修道院(Monasterio de Santo Domingo de Silos. 11世紀末のロマンス語形を残すシロス注解(Glosas Silenses)で有名な修道院)、そしてコルーニャ・デ・コンデ(Coruña del Conde)へ行き、ローマ時代の都市遺跡クルーニア(Clunia)で劇場やモザイクを見た。モザイクは砂埃で見えなかったが、ガイドのお兄さんがバケツで水をぶちまけると美しい絵が出現した。
翌日以降、家族4人だけで、ブルゴスから北上し、サンティリャナ・デル・マル(Santillana del Mar)、アルタミラ研究センター・博物館(Centro de Investigacion y Museo de Altamira)、ラレード(Laredo)の浜辺、ゲルニカ(Guernica y Luno)で、議会(Casa de Juntas)、ゲルニカの木(Arbol de Guernica)を見て、ビルバオ(Bilbao)からミランダ・デ・エブロ(Miranda de Ebro)などを見学後、ブルゴスの友人MCの家に寄って北部で買った土産を置いてから、マドリードへ帰った。