バルセローナ滞在中に列車でタラゴーナ(Tarragona)への日帰り旅行をした。朝8時5分ごろホテルを出て歩いてサンツ駅(Barcelona Sants)まで行った。駅の自動券売機で切符を買おうとしたが、説明がすべてカタルーニャ語だったため、理解不足からか、あるいは券売機が故障していたのか、とにかくそれで買うことができず、窓口で購入した。往復1人8.9ユーロ(euro)だった。昔、ローマに旅行した時には、イタリア語表記の券売機で切符を購入できたのに、ここバルセローナのカタルーニャ語表記では購入できなかった。イタリア語は外国語だからと、出発前に『エクスプレス イタリア語』(白水社)を一通り勉強しておいたのだけれど、カタルーニャ語はなめていて直前の勉強はしていなかった報いかと思った。
タラゴーナ市は、タラゴーナ県の県都で、ローマ時代、ローマの属州ヒスパニア・キテリオル・タラコネンシス(Hispania Citerior Tarraconensis(ラテン語))の首都であった。ローマ時代からの遺跡が多く発掘されたりしているので「タラゴーナの遺跡群」(Conjunto arqueológico de Tarragona)の名でユネスコ世界遺産(2000)に登録されている。登録されている遺跡としては、構成要素となっている14遺跡のうち、タラゴーナ駅から歩いて行けた5つ(植民地フォルム、市壁、属州フォルム、競技場、円形劇場)を見ることができた。以下、スペイン語(カスティリャ語)に添えたイタリック表記は、ラテン語と書き添えているものの他は、カタルーニャ語である。
駅から歩き、1人1.94ユーロの入場料を払って、植民地フォルム(コロニア広場)の敷地に入った。町中にある普通の広場に、遺跡があるという感じである。遺跡の部分を残して後の時代に建てられた建物を撤去したのではないだろうか。敷地は道路で囲まれていて、道路の向こう側には現代の建物が並んでいる。
地域フォルム(Fòrum Local)、ローマのフォルム(フォロ・ロマーノ Fòrum Romà)と書いてある地図もある。古代ローマでは、すべての都市に政治・社会・経済の中心として広場(フォルム, Forum(ラテン語))が置かれていた。そして広場の周りには神殿や公共の建物が建てられていた。ローマのフォロ・ロマーノも多くの建物が建てられていて、広場という語で想像する屋外のスペースは狭くなっているようだが、ここタラゴーナのそれも、広場がどこかよくわからない。政治の話をするために集まる場所ならば、建物が建てられても広場(フォルム)という名称のままなのかもしれない。
最初紀元前30年頃に作られたとのこと。バシリカ(聖堂 Basílica)の中廊の2列の柱の跡や、アウグストゥス皇帝礼拝所(Tribunal. Aedes Augusti)、丸天井の一部(Espacios abovedados, Espais amb volta)、貯水槽(Cisterna)の遺跡がある。一本の道路を歩道橋で渡った先の敷地にも、彫像の広場(Plaza de estatuas, Plaça d'estàtues)、街路、家などの跡がある(1)。全体的にはあまり広くない。
街中の公園が遺跡である
石積みの表面はごつごつしている市壁である。1人1.94ユーロ×2人分払って入る。入り口から登って6mぐらいの高さの壁の上を散策できるようになっている。紀元前218年にローマ人達が来て最初に築いた大きな建造物である。塔の間に壁を作る構造で、現在3本の塔が残っている。後の時代にも改修が加えられ防御に役立っていた。大砲が使われるようになって、16世紀には砦で補強されたそうである。18世紀初めに壁の外に外塁(Falsa Braga)も作られている。紀元前3世紀から2世紀のローマ時代から、14世紀から18世紀の中世および近代の考古遺跡となっている。
タラゴーナ大聖堂(Catedral Basílica Metropolitana y Primada de Santa Tecla)は、タラゴーナの中世を代表する建造物で、12世紀から14世紀前半に初期のゴシック様式で建てられている。タラゴーナの最も高いところで、当時の市の中心に位置している。入場料は1人2.4ユーロだった。
8世紀から12世紀までのアラブ勢力の支配を脱した後の、12世紀から15世紀がタラゴーナの中世である。最初はノルマン人、次にアラゴン王家の支配下で、領主の居城や大司教(Arzobispo)を頂点とする宗教界による宗教建築でタラゴーナが都市として発達したそうである。
市壁の上から眺める大聖堂
大聖堂から出て、昼食をとるため、街を歩きながらレストランの外に掲示してあるメニューと値段を見ていった。比較的近くにあったレストラン(Gallo Morón)に入った。海鮮料理(mariscos)の日替わり定食(Menú del día)が9ユーロ(前菜と主菜とデザートで、飲み物別)だった。デザートにクレーマ・カタラーナ(crema catalana)が選べたので本場のクレーマ・カタラーナを食べた。
植民地フォルム(El Foro de la Colonia)がタラゴーナ市(ローマ時代はタラコ Tarraco(ラテン語))の政治・宗教の中心なら、ここ属州フォルム(El Foro Provincincial)は、ローマの属州ヒスパニア・キテリオル・タラコネンシスの政治・宗教の中心であった。3階建ての建物、長官官舎の塔(La Torre del Pretorio)のみが1人1.94ユーロで中に入れた。
属州フォルムは、市の一番高い所に西暦73年に建設され、かつては、一段高い広場(建物)が皇帝崇拝の場、一段低い所が代表者達が集まる広場(建物)だったそうである。後者には、公文書館や国の金庫などがあった。建物内のそれぞれの場所や階への行き来きのために、階段を備えた塔が側面にいくつか付けられた。長官官舎の塔(La Torre del Pretorio)はそのような塔の一つとのことである。
1129年に修復され、15世紀まで支配者や王族の住居であった。その後、軍隊や牢獄として使われ、1971年に博物館になったそうである。
「パンと見世物」(panem et circenses(ラテン語))の言葉で知られるローマ帝国の政策の一つとして競技場(Circo)も重要な建物だった。1世紀末頃、斜面を3段の階段状に平地にして、属州フォルムが上の2段を占め、最下段をこの競技場が占めるように建設された。戦車競争(las carreas de carros (bigas o cuadrigas.2頭立てあるいは4頭立て2輪馬車))が開催され、5世紀頃まで使われていた。中世には、市場などとして利用されていた。ナポレオン軍によって19世紀には一部が破壊されたそうである。
中に入ると、かまぼこ型の天井の下に暗い長い通路が続いている。競技者なりがこの通路を通っていたのだろうか。もらった冊子には、観客が競技場のしかるべきところへ行くための通路だったとある。この上には観客席などが作られていたそうである。やがて少し広い所へ出る。競技が行われたアリーナの一部であろう。
長官官舎の塔の窓から見た競技場遺跡の一部
町の中心から駅へ向かうため海の方向に歩くと、海べりに円形劇場(闘技場)(Anfiteatro)がある。あいにく、入り口は閉まっていて中に入れない。しかし鉄格子の間から、また脇の道は上に上がっていて外からでもその美しさを十分味わうことができた。青い地中海を背景にしたローマ遺跡の円形劇場(闘技場)は、筆者が今まで見た中でも、最も美しい遺跡の一つである。
15時55分発予定で実際は16時15分に発車した列車で、サンツ駅17時45分着でバルセローナに帰った。