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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

スペイン(3) アリカンテ 編

堀田英夫

日本からネット予約しておいた国内線で8月3日にバルセローナからアリカンテへ飛んだ。代金は、5月27日の支払いで、1人税込29.45ユーロ、カード決済日本円で4226円だった。午前中は、バルセローナで散歩や荷造り(いつもながら、妻がしてくれる)、ホテル・チェックアウト、正午の搭乗で1時間10分くらいの飛行の後、午後1時30分にはアリカンテの空港を出た。3泊した4つ星ホテルは、日本からネットで予約しておいた。ツインベッドの部屋を予約しておいたのだが、提供された部屋は、ツインベッドの寝室2つに居間がつき、ヨットハーバーとビーチが部屋とバルコニーから見えるきれいな部屋にもかかわらず、特別価格で1室1泊50ユーロ(+税7%)と格安だった。ネット予約がまだあまり普及していなかった頃だったためかと思う。
 ホテルにチェックインの後、午後3時に昼食に出て、この日、アリカンテ市内のサンタ・バルバラ城(Castillo de Santa Bárbara)、市庁舎(Ayuntamiento)の外観を見て、ビーチ(playa)へ行った。
 アリカンテ市は、バレンシア州(Comunidad Valenciana)アリカンテ県(Provincia de Alicante)の県都である。バレンシア州は、自治憲章(Estatuto de Autonomía de la Comunitat Valenciana, Comunitat Valenciana 1982(7条), 2006(6条))で、「バレンシア語」(el valenciano)とカスティリャ語(el castellano)の二つを公用語(idiomas oficiales)としてい(1)。訪問した当時、アリカンテ市の街中ではカスティリャ語が一般的だったと感じた。

サンタ・バルバラ城(Castillo de Santa Bárbara)

町のすぐ近く、海岸沿いにある岩だらけの高い丘の上の砦である。ふもとの道路にトンネルの入り口があり、中へ入っていく。トンネルをかなり歩くとエレベーター(ascensor)があり、丘の上に上がれる。手元のアリカンテのパンフレットによると、トンネルの長さは205m、エレベーターで144mの高さを上がる。丘の最も高い所は166mとある。トンネルで丘のほとんど中央まで歩くようである。料金は1人2.4ユーロだった。丘の上は、市民の憩いの場という感じで、港やアリカンテの町の眺望も楽しめる場所になっている。地中海の風が気持ち良い。
 周辺の農地とアリカンテ湾を一望できる戦略的に重要な位置にあり、青銅器時代、イベリア人、ローマ人の遺物があり、9世紀末にはイスラム教徒がいた。1562年から1580年には、フェリペ2世によって改築された。
 3つの高さの郭(くるわ)からなり、最も高いところにある郭には、最古の11世紀から13世紀の遺跡、砦、建物がある。中段が最重要なところで16世紀に建てられた建造物と古いサンタ・バルバラ礼拝所の遺跡がある。3つ目、最下段は18世紀のものとのことである。

(C) 2003 H.サンタ・バルバラ城の上から眺めたアリカンテの町


市庁舎(Ayuntamiento)

サンタ・バルバラ城からホテルに帰る道の途中にある市庁舎を外観だけ見た。1701年から1780年にかけて建築された世俗バロック様式(civil barroca)の立派な建物である。中央階段の下に海抜0mの測量のための基準点を示す、水準点(Cota Cero)が設置されているそうである。
 アリカンテ到着3日目にもこの市庁舎に来てみたが、工事中のため中には入れなかった。

(C) 2003 Setsuko H.市庁舎の正面


アリカンテ到着の夕方、ビーチ(playa)で少し泳いだ。午後7時半過ぎであったがまだ明るく、泳ぐ人などで賑わっていた。夏でもあるので、もちろん海水は気持ちよかった。

2日目には、次の部分で言及する卒業生のIさんと一緒に市場(mercado)に行ってオレンジ0.5Kg、サクランボ、白桃2個、バナナ3本(合計2.4ユーロ)を買った。これら果物は翌朝、朝食としてホテルの部屋で食べた。スペインの果物は甘みが強くおいしい。

(C) 2003 Hideo H.時間が遅かったせいか商品はかなり減っていた


アリカンテを出る日に、ビーチから少し歩いた所にあるジュース屋(juguería)で、オレンジジュース(zumo de naranja)、トーストあるいはクロワッサン、コーヒーがセットになった朝食(desayuno)を食べた。一人前2.5ユーロと格安にもかかわらず、オレンジジュースは、生オレンジを目の前で絞ってくれて大変おいしかった。

アリカンテ大学

アリカンテ到着2日目に、アリカンテ大学を訪問した。国際交流センターの日本人スタッフYさんが、朝9時半にホテルまで迎えに来てくださった。大学訪問のことを『愛知県立大学スペイン学科同窓会会報¡Hola!』第8号(通算第9号), 2003年11月, p.24.に執筆している。同窓会役員会の許可を得て、一部語句修正の上、ここに掲載する。


スペイン・アリカンテ大学

 イベリア半島南東、地中海岸コスタ・ブランカ(Costa Blanca)にあるアリカンテ市は、海水浴用の砂浜やヨットハーバーがある海岸沿いに並木の植えられた散歩道があり、その陸地側にレストランやホテルが並んでいて、この夏の異常な暑さの中、スペインやヨーロッパ中からバカンスを過ごすために来た人達でにぎわっていました。あちこちで行われている道路工事の砂埃が気になったものの、リゾートとしてゆっくり滞在したい、なかなか良い街です。このアリカンテの街の中心地から北へ約4km離れた地区にスペイン国立アリカンテ大学(Universidad de Alicante)のサン・ビセンテ・キャンパス(Campus de San Vicente)があります。この2003年8月4日に街と大学の様子を見るため休暇旅行を利用して訪問してきました。アリカンテ大学とは、2003年3月の日付で、愛知県立大学と学術文化交流協定が締結されました。県大にとって10番目、スペイン語圏の大学としてはメキシコのラスアメリカス大学についで2番目の協定大学です。
 アリカンテ大学との交流は、今まで複数の学生が語学研修に行くという形で進んでいました。この¡Hola!を読んでおられる方の中にもアリカンテに行かれた方が何人かおられるかと思います。卒業生のIさんもその一人で、県大卒業後アリカンテ市に戻って住み着き、現在日本語夏期講座の講師などで活躍しておられます。今回、ご自宅の大変きれいなピソ(piso)で昼食に鶏肉とウサギ肉のバレンシア風パエリャ、サラダ、フルーツをご馳走になってきました。カタロニア語が幅を利かせるバルセローナと異なり、バレンシアーノ(valenciano これをバレンシア語と訳すかバレンシア方言と訳すかでこのことばに対する態度を決めてしまうことになるのでカタカナ表記にしておきます。言語的にはカタロニア語(catalán)と同系でほぼ同じ?ことばです。)を併記した表示はありますが、このことばを話すのは地方の人だけだそうで、町中では普通カスティーリャ語(castellano)が話されていますから、スペイン語語学研修には適した所と思います。
 サン・ビセンテ・キャンパスは、もと軍隊の駐屯地だったそうで、広大な敷地の中の、もと飛行場の管制塔(Torre de Control)だった建物に国際交流センターがあります。アリカンテ大学は国立ですが、この国際交流センターは、大学とは別機関(Sociedad)となっていて、外国人のためのスペイン語講座、一般学生用語学講座、留学生支援、国際会議等の開催運営、市民対象の公開講座などの業務を行っています。夏は大学に学生がほとんどいなくなるため夏期講座は、町中の海岸通りにある元商学部だった建物で行われます。今年さっそく4名の学科生が参加しています。そこでは一般対象の公開講座も開かれています。サン・ビセンテ・キャンパスの方は、滑走路まであった敷地ですから大きさも想像してもらえるかと思います。暑い中を歩かなくても済むよう、ゴルフ場のカートのような乗り物に乗せてもらいキャンパス内ツアーをさせてもらいました。アジア研究センターの先生と、授業料免除での学生交換の可能性を話すためにお会いしたのですが、日本留学できるほどの日本語力のあるスペイン人学生がめったにいないこと、このセンターが副学長室所属の大学内組織であるのに対し、県大生を受け入れる国際交流センターは別機関であるため授業料免除をするためにかなり面倒な学内調整が必要ということで可能性は少ないという感触でした。アジア研究センターでは日本語や中国語などの講座を学内外対象に開設し、前述のIさんが講師を勤めたのは、ここが開催する日本語講座です。
 アリカンテ大学との交流協定締結で、スペイン学科があるのになぜスペインの大学との交流協定が無いのかという学外の声に対しては、一応面目が立つこととなりました。またここに語学研修に行く学生にとっても単位認定をすることができるようになりました。今後は、学生や教員の交換、共同研究のような、さらに実のある交流ができればと希望しています。


(C) 2003 Hideo H.元管制塔の国際交流センター
建物前の看板と大学の案内図にはTorre de Control(管制塔)とある。後姿はYさん。


アリカンテ大学は、1979年創立で、1834年閉校のオリウエラ大学(Universidad de Orihuela)、1968年創立の大学教育センター(Centro de Estudios Universitarios)などが前身とのこと。75%が緑地の1万平方メートルの敷地に、この当時で、3万人以上の学生が学ぶ総合大学である。


<注>
2003年8月に旅行し、見聞したことと、旅行前後に調べたことを書いた。 以下の文献、サイトを参照した:
Comunitat Valenciana, Alicante Paso a paso, s/f.
など。

(1) 1982年と2006年の自治憲章における言語条項を比べてみると、1982年には、両言語を同等に扱い、わずかに第4項で、「バレンシア語回復に保護・配慮される」(Se otorgará especial protección y respeto a la recuperación del valenciano.)とする記載がある。2006年には、第1項で「バレンシア自治州の固有言語はバレンシア語である」(La lengua propia de la Comunitat Valenciana es el valenciano.)と宣言しているように、固有言語の方を優位に置こうとしているようである。
自治憲章 1982年:
http://www.congreso.es/constitucion/ficheros/leyes_espa/lo_005_1982.pdf
自治憲章 2006年:
http://www.congreso.es/consti/estatutos/ind_estatutos.jsp?com=79
「言語」なのか「方言」なのかは、ことばそのものの特徴からは、区別できない。社会的にそのことばがどのように扱われるかによって決まってくるものと考える。スペイン語なら“el valenciano”として、言語であるか方言であるか明示しなくても使用できるけれども、和訳は「バレンシア語」(idioma valenciano)あるいは「バレンシア方言」(dialecto valenciano)のいずれかにせざるを得ない。
バレンシア自治州憲章は「言語」の扱いをしている。カタルーニャ語を広く捉える立場からはカタルーニャ語の一方言「バレンシア方言」である。


※写真はいずれも2003年8月スペインにて撮影 [©️2003 Hideo & Setsuko H.]
2018/8/22. - 10/29.


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