10月12日は、コロンブスが西インド諸島の一つの島に到着した日で、スペインでは、中南米諸国各国、アフリカの各地、フィリピンなどを含むスペイン語圏誕生の原点として、祭日(Día de la Hispanidad)とされている(1)。1984年のちょうどこの日、インカ帝国を征服したピサロの出身地であるトゥルヒーヨ(Trujillo)の町を訪れた。
エストレマドゥーラ自治州(ピンク色)の中の赤丸がトゥルヒーヨ d-maps.com(http://d-maps.com/carte.php?num_car=1388&lang=es)から一部改変
だいだい色の屋根瓦とうす茶色の壁のルネッサンス様式の建物に囲まれた、石畳の中央広場(Plaza Mayor)では、フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro González 1478 - 1541)の彫像の脇に、臨時のステージが設けられていて、この地方、エストゥレマドゥーラ(Extremadura)の踊りや、中南米風の踊りが、おこなわれていた。見物の人たちは、広場をうめつくすほど集まっていて、雲一つない秋の晴天の下で、にぎやかな音楽に祭りはもり上がっていた。そのステージの前には、赤黄赤のスペインの国旗と緑白黒のエストゥレマドゥーラ自治州旗と並んで、「アメリカ発見500周年」(V Centenario del Descubrimiento de América)のたれ幕がかかげられていた。コロンブスによるアメリカ「発見」から500年めは、1992年で、(小生が訪れた1984年からは)まだ8年先である。今からそのたれ幕をかかげてお祭りをするとは、ずいぶん気のはやいことである。スペインにとってのスペイン語は、日本にとっての日本語とは、ちょっと違った意味を持っている。最近日本国内外で進められている日本語教育は、日本という一つの国の文化を広め、立場を知らせるという意味であろう。ところがスペイン語は、スペイン以外に20ほどの国で用いられていて、これらの国は言語の他にも文化的にある程度の共通性を持っている。スペインにとっては、この言語面での共通性を強化し、スペイン語圏内の方言分化を防ぐことが利益となり、また、そうすることによって共通の言語で結ばれた国々のブロックの中で、旧宗主国としてのリーダーシップを保持し、かつ、ブロック外の世界に対して外交上有利な立場に立ちたいとしているようである。「アメリカ発見500周年祭」(Conmemoración del V Centenario del Descubrimiento de América)も、各国から委員を出して企画されている。スペイン語圏内の結びつき強化の意味も多分に含まれているように思われる。
トゥルヒーヨの中央広場でのステージ
ピサロの騎馬像が見える
ピサロの騎馬像
スペイン滞在中受講したOFINES(Oficina Internacional de Información y Observación del Español スペイン語の情報と研究国際事務局)の主催するスペイン文献学講座(2)も、ラテンアメリカ諸国とフィリピンを中心とした世界中の国からの、スペイン語学・文学の教育や研究に従事している者、および将来そういった職につこうとしている者を対象としたもので、スペイン語圏内の結びつきを強化しようとする試みである。この事務局は、スペイン外務省所属のイベロアメリカ協同機関内(El Instituto de Cooperación Iberoamericana. ICI)にあり、こうした講座の主催の他、留学生への奨学金の支給、出版、学会の主催など、スペイン語学・文学研究の振興のための仕事をしている。講座の行なわれたマドリード(Madrid)にある建物は古く、部屋や椅子なども良いものではなかったが、一流の研究者を講師としてスペイン内外から招いていてかなりの予算がつかわれているようである(3)。スペインは、このようにスペイン語による共通性の維持に力を入れているが、メキシコ人のメキシコ古代史研究家レオン・ポルティーヤ(Miguel León-Portilla)が「発見500周年」でなく「遭遇500周年」(Quinto Centenario del Encuentro de Dos Mundos) という呼称を提案しているように、征服され植民地化された者の側の気持もくむ必要があろう。
※写真はいずれも1984年10月スペイン・トゥルヒーヨにて撮影[©1984 Setsuko H.]