ヒホンのバスターミナルから、Jさん一家の見送りを受けながら、14時発のバスでマドリードへ行った。バスでは、チーズを挟んだボカディリョ(bocadillo フランスパンに具を挟んだサンドイッチ)とミニパイの軽食、それに冷たい飲物が出た。マドリードに入ってから、モンクロア(Moncloa)、プリンセサ通り(Calle de Princesa)などで停車する。我々はアトチャ(Atocha)で降りた。街角の気温表示が42ºになっていた。そこからタクシーで、日本からネット予約してあったホテル(4つ星ホテルで特別料金ツイン1部屋1泊50ユーロ+IVA7%)に行った。ホテルの部屋に落ち着いた後、妻がCDの店を見に行くのと夕食をとるためプエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol)へ出かけた。疲れから食欲がなかったため、ファスト・フード(comida rápida)店でサラダ等で簡単にすませ、この日は早く休んだ。日本ではファスト・フード店を利用することはあまりないが、海外では、食べる量を調整できるのと、サラダがある店が多いのと、チップの金額に頭をなやます必要がないので、ちょくちょく利用している。
1984-85年のマドリード滞在時、アルカラ・デ・エナレス(Alcalá de Henares)へは行く機会がなかったため、今回、マドリード着の翌日、アトーチャ駅からアルカラ・デ・エナレスへ列車で向かった。料金は2人で4.1ユーロだった。アルカラ・デ・エナレスは、マドリード自治州(Comunidad de Madrid)の市である。アルカラという語は「城」を意味するアラビア語起源で、スペインの他の地にもあるため、エナレス川(el río Henares)のアルカラという名称になっている。エナレス川は現在、市の南を東西に流れている。ちなみにHenaresは、henar(干し草畑、牧草地)の複数形で、henarは、heno(干し草)に場所を表す接尾辞arが付いた語である。
11時過ぎに到着し、大学(Universidad de Alcalá de Henares)へ行った。ガイドツアー(guia tuada)で見学することになっていて、11時30分からのツアーに参加できた。ガイドはマリサ(Marisa)さんで、見学者は我々2人のみ、1人2.5ユーロ(euro)であった。
「アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区」(Universidad y barrio histórico de Alcalá de Henares)はユネスコの世界遺産に登録されている。ユネスコのサイト(スペイン語版)には次のように説明されている(1)。
大学は、ヒメネス・デ・シスネロス枢機卿(cardenal Jiménez de Cisneros. 1436-1517)によって16世紀に創設された。アルカラ・デ・エナレスは、計画的に作られた世界で最初の大学都市で、理想的な都市共同体、すなわち「神の町」(神の国 Civitas Dei Ciudad de Dios)の例として、スペイン人宣教師達が新大陸へもたらし、ヨーロッパなど世界各地の大学のモデルとなった。
講堂(Paraninfo)もしくは大講義室(Aula Magna)は、歴史を感じさせる重厚な建物で、床にはベンチ式の椅子が並んでいて、壁際に木製の柵で一段高くなった部分がある。壁には、紋章が描かれたタペストリー(tapiz)が何枚か飾られている。この大学で学んだり教えたりした有名人の名前が壁に書かれている。天井は高く、2階建ての高さがある。2階部分は明かり取りなのか大きな窓が並んでいる。
教授者の演壇。左側にネブリハ(Elio Antonio de Nebrija 1444?-1522)の名が書かれている。ネブリハは、1513年頃から死去するまでこの大学の教授だった。人文主義者でラテン語に関する著作と史上初のカスティーリャ語の文法書や辞書で有名。
聖イルデフォンソ礼拝堂(la capilla de San Ildefonso)は、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の一神教文化の混交としてのムデハル様式の建築(arquitectura mudéjar)で、5世紀の間、再建する必要なく建っているとのこと。床の中央には、アルカラ大学創設者のヒメネス・デ・シスネロス枢機卿のお墓がある。
いくつかの美しい中庭(patio)も見ることができた。現在のアルカラ・デ・エナレス大学は、1977年に再開校したものとのことである。
ガイドのマリサさんは、暗記したと思われる詳しい説明を熱心にしてくれた。
アルカラ・デ・エナレスの町並み
歴史研究家の研究成果として、セルバンテスが生まれた家があった敷地と考えられた場所に、1956年に、カスティーリャ・トレード地方の伝統に従って建てられた家とのこと。2階建てで、中庭のまわりには木製の柵があるバルコニーになっている。セルバンテスの時代を彷彿とさせる家具・調度が置いてあり、セルバンテスの著書の展示もあった。見学料は無料だった。
セルバンテス生家博物館
コラール・デ・コメディア(演劇の中庭. 16,17世紀の劇場)と聞くと、カスティーリャ・ラ・マンチャ自治州(Castilla-La Mancha)のシウダッド・レアル県(Ciudad Real)にあるアルマグロ(Almagro)のコラールを想起させる。1984年の夏、受講していたマドリード・コンプルテンセ大学夏期講座のセルバンテスに関する授業の一環としてのバス・ツアーで、アルマグロとそのコラールも訪れた。木造の建物で、野外の中庭に観客席が並んでいる。正面に舞台があり、中庭の周りは3階建てのバルコニーになっていて、そこからも観客が舞台を鑑賞できる。17世紀の建物を髣髴させるように1952年に再建されたものである。このコラールなどを舞台として毎年7月に「アルマグロ国際古典劇祭」(Festival Internacional de Teatro Clásico de Almagro)が開催されている。
アルマグロのコラールと比べると、アルカラ・デ・エナレスのコラールは、劇場(teatro)と言っていいような建物である。観客席の上にも天井があり、中庭ではない。周りに3階建ての観客用バルコニーがある構造は、アルマグロのそれと同じである。しかし木造ではなく、近代的な建物である。13:30からのガイド・ツアーで見学することができた。料金は無料だった。見学終了後、なぜここを知ったのかといったアンケートを書かされた。
1601年に最初に建設され、18世紀に中庭をおおう屋根がつけられた。その後、20世紀には映画館として使われたり、放棄されたりしていたものを、何人かの建築家の研究と活動によって、修復されたものである。1つの空間の中に、昔のコラール、18世紀の劇場、ロマン主義様式の劇場の3つの構造が共存している点がユニークとのことである。
2人だけのペースで見学できたのと前夜はマドリードの快適な4つ星ホテルでよく休めたため食欲も復活し、レストランEl Ruedo(人の輪, 闘技場)で昼食を食べた。日替わり定食(Menú del día)で、1人6.6ユーロ、水小1.2ユーロであった。我々2人、別々のものを注文し、最初がズッキーニのスープ(sopa de calabacín)とパエリャ(paella)、 メインに牛ロース(lomo)とメルルーサの幼魚(pescadilla)、デザートでアロス・コン・レチェ(arroz con leche)とチョコレートアイスクリーム(helado de chocolate)をそれぞれ食べた。
この2003年は、ヨーロッパ各地が猛暑だった。アルカラ・デ・エナレスの街角にあった温度計が43ºを表示していた。
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