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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

フィリピン ホセ・リサール「最後の別れ」編

堀田英夫

ホセ・リサール

フィリピン独立の英雄、ホセ・リサール(José Rizal. 1861–1896)は、当時スペインの植民地であったフィリピンのラグナ州(Laguna)カランバ(Kalamba, Calambá)で、上流家庭に属し教育がある両親のもと、11人兄弟姉妹の7番目の子として、1861年に生まれた。フィリピンの多くのタガログ系の家と同じように、先祖には中国系とスペイン系が含まれているそうである。
 幼い頃から母親と家庭教師からスペイン語とラテン語を学んだのをはじめとし、9歳の時ビニャン(Biñan)の町の私塾で学ぶ。その後マニラに出てマニラ市アテネオ(Ateneo Municipal de Manila イエズス会運営)と聖トマス大学(Universidad de Santo Tomás ドミニコ会運営)で学んだ。聖トマス大学では哲文学部で学び始め、1878年に同大学医学部に入った。1882年20歳の時にスペインへ渡航した。マドリード中央大学(Universidad Central de Madrid)で勉強を続け、1884年、23歳で医学の学士号を得て、1885年、24歳で哲文学部を卒業した。フランスやドイツなど世界各地を訪れ、学んでいる。
 才能に恵まれただけでなく、大変な勤勉家で、何ヶ国語も学び、文系理系の学問や芸術など多方面に秀でた人物であった。スペインの植民地支配によってフィリピンにもたらされた不公正をスペイン語で描いた小説(1)や、いくつかの文章でフィリピンの民族意識を高め、フィリピン独立運動に大きな影響を与えた人物である。武力闘争を扇動・指導したとして捕らえられ1896年12月30日35才の若さで銃殺刑に処せられた。12月30日はリサールの日としてフィリピンの祝日になっている。

José Rizal ホセ・リサール
(Wikimedia Commonsよりリンクで表示. リンク先)


最後の別れ Mi Ultimo Adiós

処刑の前日、面会に来た家族に託した小型アルコールコンロの中に隠して渡した Mi último adiós(私の最後の別れ)のタイトルで知られる辞世の詩も有名である。原文はスペイン語で、1句(verso)が7音節+7音節(alejandrino)で、1連(estrofa)が5句から成り(quinteto)、各連がABAABの脚韻(rima)を踏んでいる定型詩である。下に拙訳を掲載する。訳者に詩的センスはないので、原文の意味をできるだけ忠実に日本語にした(つもりの)ものである。
http://www.gutenberg.org/files/18600/18600-h/18600-h.htm
で見ることができる手稿写真版と翻字をもとに翻訳した。行末の句読点を原文にそろえた。原文スペイン語のアクセント符号と綴りは現代のものと一部異なるところがある。


Mi Ultimo Adiós  最後の別れ

Jose Rizal  ホセ・リサール
堀田英夫 訳


さようなら、崇拝する祖国、愛する太陽の土地、
(ひがし)の海の真珠、我らが失われしエデンの園!
私はあなたに喜んで与えよう。悲しい、しおれた命、
もっと輝き、もっと新鮮で、もっと花咲いていたとしても、
あなたのために与えたであろう。あなたの善のために。

戦いの場で、熱狂的に戦いながら
彼らは命をあなたに捧げている、ためらわず、考えずに;
場所はまったく問題でない:糸杉、月桂樹、または菖蒲(あやめ)
処刑台あるいは開けた場、戦闘あるいは残酷な殉教、
祖国や我が家が求めるなら同じこと。

私は死ぬ、天(そら)が染まるとき
そしてついに日出を告げる、陰気な喪服を通して;
もし深紅色を望むなら、あなたの曙を染めるために、
私の血を注ぎたまえ、良き時に血を流してくれ
その生まれたばかりの光の反射が血を黄金色にせよ。

まだほんのういういしい少年だった時の我が夢、
もう力いっぱいの若者だった時の我が夢、
いつの日か、東の海の宝、あなたを見ること
黒い瞳に涙なく、滑らかな額を高くあげ、
眉を寄せることなく、しわを作ることなく、紅潮させることなく。

わが生涯の願望、我が燃え盛る激しい熱望、
さらば、あなたに叫ぶ、すぐにわかれる魂が!
さらば!あぁ、あなたが飛翔するために倒れることは美しい、
あなたに命を与えるために死ぬこと、あなたの空の下で死ぬこと、
そしてあなたの魅惑の土地で、永遠に眠ること。

もし私の墓の上で、いつの日か芽生えたら
濃い質素な草の間で、つつましい花が、
あなたの唇にその花を近づけて、わが魂に口付けしてくれ、
そして私の額で私に感じさせてくれ、冷たい墓の下で
あなたの優しさの息吹を、あなたの息遣いの熱を。

静かでやさしい光で月に私を見させておくれ;
(あかつき)がそのはかない輝きを送るよう、
風がその重いつぶやきをうなることを、
そして一羽の鳥が降りてきて私の十字架の上にとまったら、
その鳥が平和の賛歌を歌うままにしておくれ。

燃える太陽が雨を蒸発させるようにしておくれ
そして清らかに空に戻るように、後に私の叫びとともに、
友が私の早い終わりを泣くがままにしておいてくれ
そして静かな午後、私のために誰かが祈るとき
また神に祈ってくれ、おぉ祖国よ、私の休息のために!

不運にも逝ったすべての者のために祈っておくれ、
すさましい責め苦を受けたすべての人のため、
嘆き悲しむ哀れな母たちのため、彼女らの苦悩のため;
孤児と寡婦のため、責め苦を受ける捕らえられている者のため
あなたが最終の赦しを得られるようあなたのため祈っておくれ。

そして暗い夜に墓地が包まれるとき
死者が、死者だけがそこで眠らず祈りをささげるとき、
安息を妨げないでくれ、秘跡を妨げないでくれ
チターやプサルテリウム(2)の調べを聞くかもしれない、
私である、愛しい祖国よ、あなたのために歌うのは私だ。

そして私の墓が既に皆に忘れ去られたとき
その場を示す十字架も石も無いような、
人がそこを耕すがままに、そこを鍬で砕くがままにさせておくれ、
そして私の灰が無に帰す前に、
あなたの敷物の塵(ちり)となるように。

その時あなたが私を忘れてもかまわない、
あなたの大気、あなたの領域、あなたの谷々を私は渡っていく、
きれいな響きの調べに私はなるだろう、あなたに聞かせるため、
香り、光、色彩、ささやき、歌、嘆き
私の信じるところの真髄を絶えず繰り返しながら。

崇拝する我が祖国、私の痛みの中の痛み、
愛するフィリピン、最後の別れの言葉を聞いておくれ、
私はあなたにすべてを委ねる、我が両親、我が愛を。
奴隷がいない、処刑人もいない、圧制者もいない所へ私は行く、
信条により殺されることのないところ、治める者が神であるところ。

さようなら、父母と兄弟姉妹、我が魂の一部たち、
失われた家の幼き頃の友達たち、
疲れ果てた日から私が休むことに感謝して下さい;
さようなら、優しい異国の女(ひと)(3)、私の愛する女(ひと)、私の喜び、
さよならいとしの人たち、死ぬことは休むこと。


<注>
「スペイン語国旅行記」の趣旨と少し違うとは思うが、フィリピンとスペイン語との繋がりを知ってもらいたく、このページを書いた。
 書く上で以下の文献やサイトを参考にした:
高橋正武『新スペイン広文典』白水社,1967(pp.410-430の韻文の部分)
http://www.joserizal.ph/in01.html
Jose Rizal: A Biographical Sketch BY TEOFILO H. MONTEMAYOR
http://www.joserizal.ph/bg01.html
https://en.wikipedia.org/ と
https://es.wikipedia.org/ のいくつかの項目
など

(1) 小説は、“Noli Me Tángere”(1887. タイトルはラテン語で「私に触りたいと欲するな」ヨハネによる福音書20-17)と“El Filibusterismo”(1891. 「スペインからの独立闘争」)で、最初ヨーロッパで出版された。他に詩や戯曲、新聞や雑誌に載せた記事、随筆などの著作がある。
http://www.gutenberg.org/ebooks/search/?query=Jose+Rizal
でいくつかの著作が閲覧できる。
“Noli Me Tángere”(1887):
http://www.gutenberg.org/ebooks/47584
“El Filibusterismo”(1891):
http://www.gutenberg.org/ebooks/30903

(2) チターやプサルテリウムと訳したスペイン語は、cítaraとsalterio、どちらも古代の弦楽器で木製共鳴箱に張った弦を鳴らす。

(3) リサールの妻、ジョセフィン・ブラケン(Josephine Bracken)というアイルランド人女性のこととされる。リサールがマニラから追放されフィリピン南部のサンボアンガ・デル・ノルテ州(Zamboanga del Norte)のダピタン市(Dapitan)にいた時、1895年に目の診察を受けにリサールのもとへ香港から来た養父に付き添って彼女が来た。書いたものからリサールが反教会的思想の持ち主とされていたため、教会での結婚式は拒否されたものの、2人は夫婦として生活していた。


2018/11/18 - 2019/5/11.

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