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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

スペイン(4) エルチェ 編

堀田英夫

エルチェ Elche, Elx

アリカンテ到着3日目に、アリカンテからバスでエルチェ(Elche, Elx)へ日帰り旅行をした。10時発のバスに乗り、約30分でエルチェに着いた。
 バレンシア自治州アリカンテ県の町で、バレンシア語Elx(発音は[ɛltʃ]のよう)とカスティリャ語Elcheの2言語で公式名称とすることが自治州によって1985年に決められている。ちなみに、地名形容詞「エルチェの」、「エルチェの人」は、ilicitano,-na, il・licità, -anaである。ローマ時代の名Ilice, Ilici(ラテン語)の形容詞形Illicitānus(ラテン語)が語源である。バレンシア自治州第3の町で、靴製造業が盛んとのこと。以下、スペイン語(カスティリャ語)に添えたイタリック表記は「バレンシア語」である。

エルチェの椰子園 Palmeral de Elche, Palmerar d'Elx

バスターミナルを出てすぐ近くにも多くの椰子(palma)が立っている。椰子を見ながら道を進み、市立公園(Parque Municipal, Parc Municipal)まで行って、観光案内所を探し、そこで地図やパンフレットをもらった。市立公園も椰子林の中、というより椰子林(palmeral, palmerar)そのものが公園になっている。

(C) 2003 Setsuko H.


 エルチェの椰子畑の景観は、その灌漑施設と共に「エルチェの椰子園」(Palmeral de Elche)の名で、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。イベリア半島の大部分がまだイスラム教徒に支配されていた8世紀に灌漑施設が構築された。アラブ人の農業技術の高さを示している。起源は、イスラム以前のフェニキア人やローマ人のこの地方への定住時代に遡ると考えられるとのこと。
 灌漑水路で囲まれた四角形の区画の中に様々な作物を植え、水路の岸に沿って椰子の木を並べるというのが伝統的な農法である。農家は、所有する複数区画を塀で囲み、中に家を建てた。この農業が衰退するにつれて、椰子林も放棄されたり減少したりした。しかし現在は、1986年の自治州法で保護育成が図られているそうである。

今回、歩き、サンタ・マリア聖堂の塔の上から、遊覧観光列車から、そしてレストランの窓の外と、4とおりで椰子林を見た。
 サンタ・マリア聖堂(Basílica de Santa María)は、17世紀から建築が始まり1784年に完成したバロック様式の教会である。この教会で13世紀以来の宗教劇「エルチェの聖史劇」(El Misterio de Elche, El Misteri d'Elx)が上演される。この宗教劇については、下で書く。この教会の塔(torre)から「エルチェと椰子園の最も美しい景観」(Las mejores vistas de Elche y Palmeral)が眺められると、塔に登るのに2ユーロ払ってもらったパンフレットで宣伝している。確かに、40mの高さの塔は、同じ教会のドームが少し下に見える他は、高い建物はまわりになく、椰子園やエルチェの町が遠くまで見える。

(C) 2003 Setsuko H.


 遊園地で走っているような、車体を白く塗られた遊覧用の観光列車(Tren Turístico)に乗って、椰子林の脇を通ったりして、ほんの狭い範囲ではあるが、町の中心(centro)を遊覧した。

(C) 2003 Setsuko H.遊覧列車から見た椰子林


 午後2時近く、昼食として、市立公園の中にあるレストラン・パルケ・ムニシパル(Restaurante Parque Municipal)でP先生と一緒にエルチェの名物料理を食べた。ガラス窓の外は椰子林である。

(C) 2003 Setsuko H.


聖史劇博物館 Museo de la Festa &エルチェの聖史劇 El Misterio de Elche

聖史劇博物館(Museo de la Festa, Museu municipal de la Festa)を見学した。ユネスコ無形文化遺産に登録の「エルチェの聖史劇」(El misterio de Elche 地元での呼び名は La Festa)を紹介する博物館であ(1)
 展示室には、聖史劇に使われる衣装や小道具(聖母マリアの仮面、王冠、天使の羽根、楽器)、天井の天空のレプリカなどが展示され、写真も飾られている。その先の部屋で、聖史劇の一部をビデオで見ることができた。
 「エルチェの聖史劇」は、聖母マリアの死と昇天、戴冠を再現する宗教劇である。ユネスコの紹介文によると、15世紀の中ごろから、サンタ・マリア聖堂(Basílica de Santa María)の中と街中で上演されてきたもので、中世ヨーロッパの宗教劇と聖母マリア信仰を示す生きた証である。
 毎年8月14日と15日が本番で、同月11日から13日まで、偶数年の10月30日から11月1日も上演されるとのことである。

女性の参加が禁じられていたため、男の子達が演じる聖母マリア、マリア・サロメ(María Salomé)、マリア・ヤコベ(María Iacobe)、それに天使達が、正面玄関から教会中央(翼廊)に設けられた舞台へ続く花道を入場する。
 教会の高い丸天井は、空の絵が描かれた布が被せてあり、その一部が開いて、天使役の子どもが乗ったゴンドラが下りてくる。天使は聖母マリアに、死が近いことを告げ、埋葬時に持参するよう黄金の椰子の葉を与える。
 聖母マリアの希望により、使徒達が教会内に入ってくる。聖母が亡くなったということで、演じていた男の子の代わりにエルチェの守護聖人である昇天の聖母マリア像が置かれる。再び天蓋から3人の大人と2人の子どもが乗ったゴンドラAraceliがゆっくりと降りて来て、小さな像で示される聖母マリアの魂を受け取りに来る。ここまでが1日目である。
 2日目は、聖母マリアの埋葬の準備から始まる。埋葬を阻止しようとするユダヤ人達と使徒達との小競り合いの中、聖母の遺体をさわろうとした1人のユダヤ人の両腕が麻痺してしまった。仲間の懇願により、奇跡が起き、再び両腕を動かすことができるようになり、ユダヤ人達はこの奇跡を目にして、改宗し洗礼を受けた。改宗したユダヤ人達も使徒と共に、聖母の埋葬を執り行い、荘厳な行列となった。最後に、埋葬として、舞台に設けられた穴に聖母の像が安置される。
 その時、Araceliが再び降りて来て、聖母の魂と肉体を合わせ、生き返った聖母を天に昇らせる。その途中で、遠いインドで宣教をしていた使徒聖トマスがやって来る。再び天が開き、父と子と聖霊の聖三位一体(Santísima Trinidad)の乗ったゴンドラが降りてくる。聖なる父が聖母のこめかみに王冠を置き、聖母は、創造の女王として戴冠される。感動的な栄唱(Gloria Patri)の合唱と大勢の聴衆の拍手喝采でエルチェの聖史劇が終了する。

大きな機械仕掛けがあまり見られなかった昔、劇の中で、25mもの高さの天蓋から、天使達が降りてきたり、昇天したりする様は、参列者の度肝を抜き、合唱と共に大きな感動を与えたのではないかと思う。一年中の準備を経て、毎年300人以上のボランティアが演者、歌い手、大道具、衣装制作、警備などに参加しているそうである。

(C) 2003 Setsuko H.聖史劇が上演されるサンタ・マリア聖堂


エルチェの貴婦人像 Dama de Elche

エルチェといえば、「エルチェの貴婦人像」(Dama de Elche)を思い出す。マドリードの考古学博物館で展示してある実物を1984年9月に見ている。
 エルチェの町から南、3kmにある遺跡から1897年に発見された石灰岩製の婦人胸像である。ローマ人が来る以前の起源前5世紀から4世紀のイベリア人によるものとされている。端整な顔立ちで、髪飾りや服装の装飾が非常に細かい像である。高さ56cm、横幅45cm、奥行37cm、重さ65,08kgとのことで、人間と同じくらいの大きさである。その彫刻の細かさによって大きな存在感があった。
 エルチェの町では、みやげ物屋の店頭にレプリカが最前列に置かれていた。我々が乗った観光列車の車体に写真が飾られていた。

(C) 2003 Setsuko H.土産物屋にあるレプリカのエルチェの貴婦人像


アリカンテ行き4時25分発のバスに乗り込み、エルチェの観光を終えた。


<注>
2003年8月に旅行し、見聞したことと、旅行前後に調べたことを書いた。 もらったパンフレット類の他以下のサイトを参照した:
https://whc.unesco.org/en/list/930
https://ich.unesco.org/es/RL/el-misterio-de-elche-00018
http://www.elche.com/micrositios/museos/info/1674/la-basilica-museo-de-la-virgen/ http://documentacion.diputacionalicante.es/mun_disp.asp?codigo=03065
https://es.wikipedia.org/wiki/Dama_de_Elche
など。
アリカンテに一時滞在しておられた恩師のP先生と、前日の夜にお会いし、エルチェ日帰り旅行の行動を共にした。暑い中、P先生と一緒だったので、いつものように歩き回ることはしなかった。

(1) 我々が訪れた2003年には、まだユネスコの「無形文化遺産の保護に関する条約」は発効していなかった。この条約が2006年に発効する以前、2001年以降「人類の口承及び無形遺産の傑作」(Obra Maestra del Patrimonio Oral e Inmaterial de la Humanidad)としての宣言が行われていた。エルチェの聖史劇は、最初、2001年に宣言されている。その後無形文化遺産に統合されている。


※写真は、いずれも2003年8月スペインにて撮影 [©️2003 Hideo & Setsuko H.]
2018/8/27.- 2020/8/30.


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