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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

ペルー(7) リマ編

堀田英夫

クスコから国内線でリマへ飛び、ペルー観光の最終日にリマ市内の見学をした。クスコからリマへは、6時40分搭乗、7時30分発予定の便で、搭乗口で待ったけれども、搭乗の案内がなかなかない。搭乗案内がないまま出発予定時間の7時30分に、悪天候のため30分遅れるとのアナウンスがあった。8時に妻が係員にたずねると30分後とのこと。8時半に再度たずねるとあと30分かかると言われた。8時50分に急にアナウンスがあり、すぐ全員搭乗するようにと言われる。小生はちょうどトイレに行っていて、妻を心配させてしまった。なんとか搭乗して、9時にドアが閉まりすぐ動き出した。1時間半遅れで離陸したが、リマまでは1時間ちょっとのフライトであった。リマの空港では、ガイドの金城さんが待っていてくれた。

リマ市がある地は、インカ時代以前から先住民が宗教センターなどを築いていた土地である。征服者フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)によって1535年1月18日に「王(複数形)の都市」(Ciudad de los Reyes)という名で町が設立された。Reyes(王(複数形))は、Reyes Magos de Oriente(東方三博士)からの命名であるらし(1)。しかしこの土地の昔から呼びならわされていたリマック川流域(Valle del río Rímac)からリマ(Lima)という名が定着した。1543年には、南米大陸全域を管轄とするペルー副王領の首都とされた。この管轄領域が、18世紀中頃以降新設される他の副王領に分割されるまでの約200年間、南米大陸全体の首都だったことにな(2)。ペルー独立の1821年以降は、国の首都である。
 この長い歴史の中で重要な都市であることから1991年に「リマ歴史地区」(Centro histórico de Lima)の名で、ユネスコの世界遺産に登録されている。これは1988年登録の「リマのサン・フランシスコ(教会・修道院)」(San Francisco de Lima)を含み拡張されたものである。

今回は、マヨール広場(Plaza Mayor あるいはアルマス広場 Plaza de Armas)から、大聖堂(Catedral)、サンフランシスコ教会(Iglesia de San Francisco)、大統領官邸(Palacio de Gobierno)前での衛兵の交代式、天野博物館などを見学できた。

(C) 2008 Setsuko H. マヨール広場/アルマス広場


大聖堂(Catedral)

マヨール広場/アルマス広場の東側にある大聖堂は、正面の両側それぞれに尖塔が立つ大きな建物である。訪問した日は、1月14日で、入口入ってすぐのところの腰ほどの高さの舞台に等身大の人形のイエス、マリア、ヨセフと東方三博士、それにヒツジ、ロバなどからなるキリスト生誕(nacimiento)が表現されていた。大聖堂の中は太い白い柱が立ち並び、上を見るとかなり天井が高い。天井は黄金色の直線で枠が描かれている。中央から左右にいくつかある側廊(nave lateral)それぞれもちょっとした教会ぐらいの広さがある。
 ピサロがリマ市設立と同時に、この大聖堂の建設をはじめたとのこと。完成後も何度かの地震により被害を受け再建されている。ピサロを祀る納骨堂(Cripta de Francisco Pizarro)がある。

(C) 2008 Setsuko H. 大聖堂内のピサロ墓所


大聖堂の隣りに大司教館/宮殿(Palacio Arzobispal)がある。建物2階部分に大きな木製バルコニー(balcones)が2つ出っ張っている。入口の頑丈な扉には大きな鉄鋲がたくさん打ち付けてあり、獅子顔の大きなノッカー(aldaba)もある。玄関の両側は、人の肩ぐらいの高さまで青の装飾タイル(azulejos)が貼ってある。その上の壁に、カトリック教会と国家との協調を象徴してアウグスト・レギア大統領(Augusto B. Leguía 1863 - 1932)によって1924年に完成したとの説明板があっ(3)。木製天井の梁にも装飾が彫刻してある。玄関内の鉄格子のところまで行けるが、中には入れなかった。その先の2階へ登る階段も豪華な造りで天井はステンドグラスから光が入って明るい。

(C) 2008 Setsuko H. 大司教館の入口から入って2階へ登る階段


サンフランシスコ教会(Iglesia de San Francisco)

大聖堂から1,2ブロック歩いたところにサンフランシスコ教会・修道院がある。教会の前の広場は、ハトがたくさん居て、教会の壁にも多くのハトがとまっていた。この教会にもキリスト生誕飾(nacimiento)があった。祭壇のみならず、柱や天井にも数々の聖像が飾られていて、大きな荘厳な教会である。修道院の方は、今回は見学できなかった。教会から出た後、本屋エル・ビレイ(El Virrey 副王)に入り、ペルー・スペイン語に関する本2冊を買っ(4)

(C) 2008 Setsuko H. サン・フランシスコ教会正面。薄黄色の壁にある黒い点々はハト。彫刻のある正面にも多くとまっている


(C) 2008 Setsuko H.


大統領官邸/政府庁舎(Palacio de Gobierno)

本屋から出て、大統領官邸の前で正午に行われる衛兵の交代式を見た。鉄柵の中に整列している衛兵は、赤い上着と青いズボンの制服を着ていて金色の管楽器や太鼓を持っていてカラフルである。鉄柵の外には、警察(policía)と書いてある透明な盾を持った現代の制服を着た警官が間隔を置いて並んでいる。その列と平行して鉄柵の近くにも武器を持った警官も並んでいる。また装甲車が官邸の前で広場向きに数台停まっていて、少々ものものしい雰囲気でもある。

(C) 2008 Setsuko H.

(C) 2008 Setsuko H.


(C) 2008 Setsuko H.


(C) 2008 Setsuko H. 大統領官邸の前


 大統領官邸のある場所は、最初はピサロが自分の住まいとペルーを治めるための政庁として建物を建てたところである。1544年に初代ペルー副王(Blasco Núñez Vela)がやって来てからは副王の宮殿となり、ペルーが独立してからは大統領官邸となった。現在の建物は軍事独裁政権のオスカル・ベナビデス(Óscar R. Benavides)暫定大統領(Presidente Provisorio)の命により建てられ1938年に完成したものだそうである。

(C) 2008 Setsuko H. 有名な某ドーナツ・チェーン店も町並みに溶け込んだ外観になっている。ドーナツ店の向こうに歴史地区建物の特徴のせり出したバルコニーが見える


その後、海辺のレストラン、ロサ・ナウティカ(La Rosa Náutica 羅針盤の指針面)で昼食を食べた。海にせり出した桟橋の上に建っている。窓の外は太平洋の海原が見え、雰囲気が良い。いつもなのか、波がかなり高く、海が荒れているように見える。海の反対側、陸側は、かなり高い断崖の上にビルなどの建物が並んでいる。ペルー料理のセビーチェ(cebiche)、イカの天ぷら、帆立のグラタンなどの前菜に、パエリャや魚の料理を食べた。

天野博物館

昼食後、比較的静かな住宅街の中にある天野博物館を見学した。インカやインカ以前のチャンカイ文化(13-15世紀)などの多くの種類の織物を、博物館の方のスペイン語によるガイドツアーで見ることができた。細かい模様を編む織物の技術には驚かされる。織物の絵葉書をおみやげにもらい、耳覆い付き毛織帽・チューヨ(chullo)を買った。
 リマ市には、他にも数々の博物館があるが、今回は、見学することができなかったのは残念である。
 この当時リマは治安が悪く市内観光に用意された車は人生初の防弾ガラス仕様だった。ガイドの金城さんにホテル周辺も個人歩きは控えるよう言われていた。

夕方5時半にリマ市内のホテルに入り、休息と夕食をとり、帰国の経由地ヒューストンへ向かう深夜発の便に乗るべく、空港に送ってもらって、ペルー観光が終わっ(5)


<注>
2008年1月に旅行し、見聞したことと旅行後に調べたことを書いた。
『ラテン・アメリカを知る事典』平凡社、1987.
などを参照した。

(1) 現在は1月6日が el día de los Reyes Magos(公現祭:東方三博士(Reyes Magos)の日)である。1535年当時は今のグレゴリオ暦となる前なのでユリウス暦(1582年まで)が行われていて、1月19日が東方三博士の日であったらしい。その前日に設立した市に los Reyes と名付けたのは、現代スペインなどで東方三博士の日の前日1月5日に三博士の行列や子供へ贈り物をするのと同じことなのだろうか。http://limacitykings.com/ciudad-reyes/

(2) 1718年にヌエバ・グラナダ副王領、1777年にリオ・デ・ラ・プラタ副王領が設けられた。ヌエバ・グラナダ副王領は、現在のコロンビア、エクアドル、ベネズエラ、パナマを管轄、リオ・デ・ラ・プラタ副王領は、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、ボリビアを管轄とした。

(3) アウグスト・レギア大統領は、ポピュリズムに基づく独裁的な個人崇拝により1908年から1912年と1919年から1930年までの計15年の長期に渡って政権を握っていた。再選が繰り返された2期目は、「レギアの11年間」(Oncenio de Leguía)と呼ばれているそうである。 https://es.wikipedia.org/wiki/ の Augusto_Leguía と Oncenio de Leguía の項目を参照した。

(4) クレジット・カードで支払いをするのに現地在住者の保証人がいるとかでガイドの金城さんになってもらった。2冊で96ソル、日本円で3588円だった。ここで購入した本は、「特定領域スペイン語教育用語彙における地域差 -マドリード市とリマ市の交通関連語彙」『愛知県立大学外国語学部紀要言語・文学編』(2009年,41号所収)およびその改訂版『法生活空間におけるスペイン語の用法研究』(ひつじ書房,2016年)の第11章を書くのに参考文献の一部として利用した。

(5) この日も、クスコの空港で1人4.28USドルの空港税(tarifa aeroportuaria)、リマ出国時に出国税として1人30.25USドルを払わされた。米国ドルできっかりの金額を用意していてもどちらも札しか受け取ってくれず、お釣りをソルで寄こした。旅の途中ならともかく最後でのソルは困った。この日だけで合計69.06ドルの税である。リマの出国税(1人25.42USドル)等は、出発前に旅行代金と共に旅行代理店に既に支払っているのにプラスしての支払いである。空港税にはじまり空港税に終わった旅だった。なお2011年1月4日搭乗分からは、航空券購入時に事前徴収されることになったようである。


※写真はいずれも2008年1月ペルーにて撮影 [©️2008 Setsuko H.]
2018/5/27.- 2020/8/8.

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