グアテマラ滞在5日目にグアテマラ市(Ciudad de Guatemala)とアンティグア市(Ciudad de Antigua Guatemala)を見学した。グアテマラ市では、ミラフローレス博物館(Museo Miraflores)も見た(1)。どちらもグアテマラの中央高原にあり、標高1500mほどなので暑くはない。
朝8時にホテルを出発し、グアテマラ市旧市街の中央公園(Parque Central)まで車で行った。ここは首都の中心で、国全体の中心でもある。スペイン語圏のいくつかの国と同じように、マヨール広場(Plaza Mayor)、アルマス広場(Plaza de Armas)といった名前を経て、現在の正式名称は、憲法広場(Plaza de la Constitución)とのことである。メキシコ市のソカロほどは広くないけれども、かなり広く見える。ハトがたくさんいて、椅子やテーブルのあるテント小屋の飲食店がいくつか並び、土産物屋の屋台もある。中央あたりには噴水と、北側の国家文化宮殿(Palacio Nacional de la Cultura)に近い方には、大きな国旗が掲げてあるポールが立っている。広場東側には、大司教座大聖堂(Catedral Metropolitana)がある。西側は、緑の木々が立った公園になっている。
国家文化宮殿は、1943年に完成し、2001年から現在の名称とされた。現在は国家的な儀礼に使われる他は、文化的な行事に使われている歴史的芸術的建造物である。グアテマラ全土の道路の距離を示す出発点としての道路元標(Kilómetro Cero)が、ここの応接間(el salón de Recepciones del Palacio)にある。現在の大統領官邸は、この建物の裏手の別の建物である(2)。
国家文化宮殿より古い建物が大司教座大聖堂である。1782年から建築が始まり、1815年に完成したとのことである。
グアテマラ市は、1949年の都市計画により、25番までの番号のついた地区(zona)に区画されている。地区1が市の中央で、時計の針と逆方向でらせん状に郊外へ進む番号である。通りの名前は、北アメリカのニューヨークなどと同じように、東西が calle(通り、丁目)、南北が avenida(街)でそれぞれ数字の名がついているのが基本である。それで、中央公園の住所は、地区1の6丁目と8丁目の間(Entre 6a. y 8a. Calle, Zona 1)とある。
中央公園、右に国家文化宮殿
大司教座大聖堂
スペインの植民地としてのグアテマラ総監領(Capitanía General de Guatemala)の首都であったアンティグア市が、1773年の地震(terremotos)によって破壊されたため、この地に新しい首都を築くことが決められ、1776年以降、役所や大聖堂など、それに多くの住民が移転してきた。正式名称は「(聖母マリアの)被昇天の新グアテマラ」(La Nueva Guatemala de la Asunción)とされた。
グアテマラ総監領は、現在のメキシコのチアパス州から中米の5カ国、パナマの一部までも含んでいた。1821年9月15日に独立し、現在のグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカの5カ国はこの日を記念して、共に9月15日を独立記念日としている。これら5カ国は、一時期(1823年から1830年代後半まで)、中央アメリカ連邦共和国(República Federal de Centroamérica)を構成した。その初めのころ、グアテマラ市が首都であった。
中央アメリカ連邦共和国が解体して、グアテマラ共和国が成立するとグアテマラ市がその首都となり現在に至っている。
その後、中米の地域統合を進める動きもあり、1991年には、中米統合機構(Sistema de la Integración Centroamericana. SICA)が設立され、その一部をなす中米議会(Parlamento Centroamericano. PARLACEN)がグアテマラ市に置かれている。
中央公園から車で20分ぐらいのところにあるミラフローレス博物館(Museo Miraflores)を訪れた。この博物館はマヤのカミナルフユ(Sitio Arqueológico Kaminaljuyu)遺跡の出土品を中心に展示している。カミナルフユ遺跡は、現代のグアテマラ市の南西部にあり、市街地が広がったため、一部が残されているのみである。住宅地の中に取り残されて、近隣住民のゴミ捨て場になっていたところもあったようである。標高1,450mの土地で、紀元前1100年頃から集落があった。今は消滅した湖の周りに発展した都市で、紀元前400年から紀元200年の先古典期後期(Preclásico Tardío)が最盛期である。スペイン人が来る前のグアテマラ中央高地で最も重要な宗教都市であった。10世紀頃には、建造物が建設されなくなった。
博物館は、現代的な明るい建物内に、石像、土器などの展示がある。マヤ文明に関わる爬虫類を展示したコーナーもあった。また庭には、遺跡の一つである盛り土(montículo)が保存されている。博物館の建物のすぐ近くにあって、敷地外には高層ビルが見えることもあり、芝生が植えられた単なる盛り土にしか見えない。遺跡全体ではこのような盛り土が200以上あったそうである。神殿なり住居なりの後と思われる。頂上には、発掘の体験をするための砂場があった。また、西方にアグア火山(Volcán de Agua)を望むことができた。
アクロポリスの盛り土(C-11-14)祭壇1の彫刻(紀元前1世紀頃)
爬虫類室の大蛇(つぶらな瞳で撮影者の妻をじっと見つめていた)。キチェ語によるマヤの伝承をローマ字で書きとめた『ポポル・ブフ』2部7章にZaquicazという名の大蛇が出てくる。キチェ語でzakが白いという意味なので、白蛇(Blanca Víbora)とするスペイン語訳がある。
1541年から1773年まで、グアテマラ総監領の首都であった町であり、ユネスコ世界遺産に登録されている(3)。正式名は、Muy Noble y Muy Leal Ciudad de Santiago de los Caballeros de Guatemala(グアテマラの騎士達のサンティアゴの極めて高貴な極めて忠実な市)という長い名らしいが、グアテマラ観光局の地図にも、ラ・アンティグア・グアテマラ(La Antigua Guatemala 旧グアテマラ)と表記してある。町の中の道路は、格子状になっている。新グアテマラ市と同じく、東西が calle(通り、丁目)、南北が avenida(街)と呼ばれ、それぞれ数字の名がついている。1543年にさかのぼる都市計画に基づく格子状道路は、ラテンアメリカでも最古のもので世界遺産登録の根拠の一つでもある。現在は、数字とは別に異なる名前もついた通りも多い。1773年の地震で多くの部分が破壊されたとはいえ、植民地時代約3世紀の間に建造され、当時の雰囲気を残す、教会や修道院が多くある。
アンティグア市の散策は、まず郊外の十字架の丘(Cerro de la Santa Cruz)の展望台(mirador)から、南西下方に広がる町並みと、その背景にある遠方のアグア火山を眺めることから始まった。アグア山は、標高3760mで、標高だけでなく山の形も富士山そっくりである。丘の上には、セメント製の十字架がある。基壇も含めて10mぐらいの高さである。1930年に立てられたとのこと。
アンティグア市町中の道路は、比較的小さな石が敷き並べてあって舗装されている。午前中、カプチーナス修道院(Convento de Capuchinas)、サン・フランシスコ教会と修道院(Iglesia y Convento de San Francisco)および付属の博物館(Museo del Santo Hermano Pedro)、大聖堂(Catedral)の3ヵ所を見学した。
カプチーナス(Capuchinas)とは、カプチン女子修道会のことなので、カプチン女子修道院と和訳しても良い。カプチン会・カプチン女子修道会は、フランシスコ会・クララ女子修道会から分派した厳格な修道生活を送る修道会とのこと。ここの修道院の建物は、1736年に完成した、この町最後の女子修道院だそうである。アンティグア市の建物などの文化財を保護、修繕や再建することを目的とした国の機関であるアンティグア・グアテマラ保護委員会(Consejo Nacional para la Protección de La Antigua Guatemala)の本部事務所が置かれている一角は、きれに再建されている。植民地時代の2階建て建物で、中央に噴水があり、ブーゲンビリアなどの花が咲いている木がある中庭も美しい。その他の部分は、ここを「カプチン女子修道会の教会と修道院の遺跡」(Ruinas de la Iglesia y Convento de las Capuchinas)と「遺跡」の名で案内しているサイトもあるように、現在は、修道院として機能していない。一部修復や再建はされてはいるけれども、ほとんどは、石材を積んだ壁などが残っているだけである。1773年の地震後、修道院は現在のグアテマラ市に移転した。
中庭の一つにTorre del Retiro(「隠居の塔」と訳せるか)という名のついたところがある。ここの建物独特のもので、円形の中庭の周囲に、中心に向かい戸口が空いた18の狭い独房が並んでいる。それぞれに小さなベッド、机、椅子、トイレがあって、正式な修道女になるために新入り(novicias)が修練した場だったそうである。うら寂しく感じさせる廃墟の中で、カプチン修道会の掟に従い信者の施しのみによって清貧と贖罪の日々を過ごした修道女達のことを想った。
隠居の塔(Torre del Retiro)
グアテマラにおけるフランシスコ会の建築物は、1542年から建設され、地震などで被害を受けつつ、1714年に現在見ることのできる教会の正面(fachada)が完成した。ここの教会と修道院は、アンティグア市の他の寺院よりもずっと内容が豊かな建物群とのことである。教会は再建されているが、修道院の方は廃墟になっている。
サン・フランシスコ教会
ここには、建築物の他に、聖ペドロ・デ・ベタンクール修道士(Santo Hermano Pedro de Betancourt. 1626-1667)の遺骨を納める棺とその業績を讃える博物館がある。この修道士は、カナリア諸島テネリフェ島出身で25才の時にグアテマラにやって来た。この地で、人種を問わず貧窮にある者に寄り添い、援助をし、施設を建て、教育に従事した。これらの事績により1980年に福者(Beato)に、2002年に聖人(Santo)に列せられていて、現在も多くの人の信仰を集めている。ノーベル賞作家M.A.アストゥリアスの作品の中に簡潔な紹介がある:
“El hermano Pedro de Betancourt viene a orar después de medianoche: dio pan a los hambrientos, asilo a los huérfanos y alivio a los enfermos. Su paso es imperceptible. Anda como vuela una paloma.”(1930) 「ペドロ・デ・ベタンクール師が、真夜中過ぎにお祈りにやってくる。これは、飢えたる者にパンを、寄るべなき者に庇護を、そして病める者に安らぎを与えた僧である。彼はその足音が聞こえないほど身軽である。まるで鳩が飛ぶように歩くのだ。」『グアテマラ伝説集』牛島信明訳、国書刊行会、1977. p.25.
中央公園(Parque Central)あるいはマヨール広場(Plaza Mayor)の北側に市庁舎(Municipalidad)が、西側に大聖堂(カテドラル)がある。現在は、サン・ホセ大聖堂の教区教会(Parroquia de San José Catedral)の名で教会として機能しているが、この裏手に、かつての大聖堂の廃墟(Ruinas de la Catedral de La Antigua Guatemala)がある。16世紀から建設が始まり、アンティグア市の他の建物と同じく、何度かの地震で破壊されつつ、1680年にお披露目され、1743年にグアテマラの騎士達のサンティアゴ(Santiago de los Caballeros de Guatemala. すなわち現在のアンティグア市)の首都大司教座大聖堂(Catedral Metropolitana)の地位を得て、植民地時代の当時の南北アメリカでも最も重要な寺院の一つとなった。廃墟は、いくつかの高い柱や壁、天井を支えるべきアーチを通して青い空が見えて、かつてはさぞ壮大な教会であったことを偲ばせている。
大聖堂廃墟の内部
レストラン「フォンダ・デ・ラ・カジェ・レアル」(Restaurante Fonda de la Calle Real 王道の旅籠)で、グアテマラ伝統料理のペピアン(Pepián 鶏肉シチュー)、カキック(kak'ik 七面鳥スープ)を食べた。ペピアンは、カクチケル人(kaqchiquel, cakchiquel, cachquel)のお祝いの時などに食べる料理の伝統を受け継ぐもので、カキックは、ケクチ人(kekchí, quekchí)(4)のお客様をもてなすための伝統料理とのことである。両者とも2007年に文化スポーツ省により国の無形文化遺産(Patrimonio Cultural Intangible de la Nación)とされている。レストランでは、バンドによる生演奏を聞くこともできた。
レストラン(Fonda de la Calle Real)の生演奏のバンド
グアテマラ伝統料理:ペピアンとカキックなど
午後は、ラ・メルセー教会と修道院(Iglesia y Convento La Merced)を訪れた。グアテマラに来たラ・メルセー修道会の修道士達が、1546年から建設を初め、1583年に完成するもいくつかの地震で何度か破壊された。現在の建物は、1767年にお披露目されたものが基になっているそうである。教会は、立派に再建されていて、お祈りをする人たちや15歳のお祝い(quinceañera)らしいドレスで写真撮影している女の子がいた。修道院の方は、見学用に整備されているが、ここも廃墟である。周りに回廊のある中庭に、南北アメリカで最大とされている噴水がある。水を受ける噴水盤は、珍しい星形で、周りに突起の先端が角と丸の互い違いになった16の突起がある。回廊の屋根が歩けるようになっていて、上からこの噴水の形を見ることができた。
ラ・メルセー教会
教会内、ナザレのイエスの祭壇(Capilla de Jesús Nazareno)で祈る人たち。この日は日曜日だった。
ラ・メルセー修道院 回廊の上から見る。左下に噴水の一部が見える。
アーチ通り(Calle del Arco)(5)。前方に町のシンボルのアーチ。その先にラ・メルセー教会がある。
メルセー教会を見学した後、再度中央公園を散策し、本屋に寄って、アンティグア市を後にした。グアテマラ市に戻り、日程にあるミラフローレス・ショッピングセンターへ寄った。妻と私は海外でもほとんど買い物をしないので、ここでも本とナシミエント(nacimiento)を探したのみである。この時はナシミエントを見つけることができなかったが、帰国時、空港の売店で購入することができた。
ショッピングセンターを出て、レストランで地元料理の夕食をとった後、ホテルに帰り、グアテマラ観光を終えた。