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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

グアテマラ(3) ティカル遺跡 編

堀田英夫

セロ・カウイ(Cerro Cahuí カウイ丘)自然保護区(Biotopo Cerro Cahuí)(1)に囲まれ、ペテン・イツァ湖(Lago Petén Itzá)の湖畔に立つホテルでグアテマラ滞在4日目の朝を迎えた。部屋のベランダからは、樹木の向こうに湖面が見える。ホテルでの朝食後、ティカル遺跡に向かうため、8時に現地ガイドのアントニオさん(Antonio)と一緒に車で出発した。

グアテマラの北部にあるティカル国立公園(Parque Nacional Tikal)は、576km2という領域を占めている。伊勢志摩国立公園の総面積(555.44km2)より少し広く、東京23区の総面積(626.7km2)の9割ちょっとである。上空からの写真を見ると森林が北の国境を越えてユカタン半島へ続いている。遺跡公園は、その国立公園の中の16km2ほどの広さの森林の中に建造物が散らばっている。国立公園は、マヤ文明の最も重要な遺跡の一つがあることと、多様性に富む生物圏としての価値から、ユネスコの複合遺産に登録されてい(2)。。
 遺跡入口近くには、沼(aguada)があり、アシの茂る間から「危険! ワニ」(¡¡PELIGRO!! COCODRILO)と、かろうじて読める古ぼけた小さな立て札が見える。非常に背の高いパンヤノキ(カポック)(ceiba)も立っている。この木は、グアテマラ観光局のティカルの地図にも、神殿などと共に表記されている。パンヤノキは、マヤ文明でも重要な木で、グアテマラの国の木とされているとのことであ(3)。入口から左の道を進んでいく。整備された道なのだが、両側は密林である。シロハナグマ(pizote アライグマ科)のイラストと説明付きの看板があった。
 20分ぐらい歩いたところで木々の間に、ピラミッドがあった。6号神殿(Templo VI)である。頂上の棟飾にティカルで最も長い碑文があったことにより「碑文の神殿」(Templo de las Inscripciones)とも呼ばれる。碑文に西暦766年にあたる日付があるとのこと。神殿の前にある石碑と平らな石の祭壇は、それぞれ石碑21(Estela 21)と祭壇9(Altar 9)と名付けられている。石碑21は、割れたり欠けたりしたものを修復したようである。部分的にはマヤ文字が残っている。ティカルでは、ピラミッドを建てるとその前面に石碑を立て祭壇を置いている。石碑には、王の姿と共に生涯と事績などが日付入りでマヤ文字で刻まれている。キリグアでは、高いピラミッド神殿がなかったため、石碑と石像に注目したけれども、ここではピラミッドの方に注目してしまう。

 (C) 2013 Setsuko H. グアテマラの木:パンヤノキ(カポック) マヤの聖なる木(ceiba)(3)


 (C) 2013 Setsuko H. 「6号神殿」別名「碑文の神殿」


次にグループG(Grupo G)へ向かう。6号神殿からグループG方面への道は、メンデス通り(Calzada Méndez)と名付けられている。この道は、現在は、砕石が敷かれているようにしか見えないけれど、道そのものも昔からのもので、パンフレットにそのむね説明がある。このような道は、ティカル内で5本あり、それぞれ、ティカル遺跡の発見者や考古学者を讃えその名が付けられてい(4)
 根がたくさん重なって立っている木などを見ながら、メンデス街道を25分ほど歩き、グループGに来た。「グループ」と名付けられたところは、建物群ということらしい。石を積んだ壁やその手前に階段のついた少し高くなった段がある。壁の石には、文字らしきものの彫刻が見えるものがある。建物のそれぞれがどういう機能を果たしていたのかよくわからない。周りはジャングルで、奥にいくと密林と建物の間に、芝生が生えていて静かなちょっとした広場があった。建物の開口部は、ティカルの他の場所も同じなのだが、左右から石をせり出して梁の代わりとしているマヤ・アーチの5角形のものと、水平の梁がかけてある長方形のものと二つの形がある。次に、5号神殿(Templo V)を見る。

 (C) 2013 Setsuko H. 5号神殿:西暦550年から650年の間に建築されたとのこと。正面階段の左側に極めて急な木製階段が設けられているが、登リ口の何段かは壊れて(あるいは撤去されて)いて登れない。


さらに「7つの神殿広場」(Plaza de los siete templos)、「大神殿(あるいは失われた世界)の広場」(Plaza de la gran pirámide o mundo perdido)へ行く。「失われた世界」の名は、コナン・ドイルの小説にちなんだものである。この広場に「大ピラミッド」(Gran Pirámide)あるいは「建造物5C-54号」(Estructura 5C-54)と呼ばれるティカルで現在見ることのできる最古の建物がある。先古典期(形成期)の建造だそうである。
 この地に人がいた証拠があるのは、紀元前800年ごろからとのことで、紀元前600年から西暦900年頃までの建造物があるとのこと。このおよそ1500年の間にいくつかの建物が建てられたり、建て替えられたりしていた。ティカルで残っている刻まれた最古の日付は、マヤで最古の暦表記でもあり、石碑29(Estela 29)の「8.12.14.8.15.」(西暦292年)とのことである。この石碑は、大広場(Gran Plaza)で発掘されたもので、入口近くにあるティカル博物館(Museo Tikal)に展示してある。

 (C) 2013 Setsuko H. 「大ピラミッド」あるいは「建造物5C-54」、ティカルで最古の建物。35mの高さ


「窓の宮殿」(Palacio de las Ventanas)、複合体N(Complejo N)を通り、4号神殿に向かう。「複合体」とは、「双子のピラミッド複合体」(Complejos Piramides Gemelas)とも呼ばれ、ティカル独特のもので、二つのピラミッドを含む4つの建造物がセットになっているところを意味する。広場の東西にピラミッド、南に9つの開口部がある建物、そして北に石碑と祭壇が中にある「石碑の境内」(Recinto de la estela)という建造物がある。遺跡全体の中では、7つの複合体があるとのこと。これらは各カトゥン(Katun)の終わりごと、すなわち20年ごと建てられたということである。石碑はピラミッドの前にも建てられ、祭壇が置かれている
 次に、ティカルで最も高い4号神殿(Templo IV)もしくは「双頭の蛇神殿」(Serpiente Bicéfala)に登る。高さ64mで、棟飾が立つ基壇のところまで登ることができる。西暦740年頃の建造とのことである。

 (C) 2013 Setsuko H. 4号神殿の上からの景色。遠くに1号、2号、3号神殿上部が樹海の上に見える。この眺望は、映画「スター・ウォーズ・エピソード4 新たなる希望」のワンシーンで、反乱軍基地の地上部分として使われた。


 (C) 2013 Setsuko H. 4号神殿の側面 階段の途中から仰ぎ見て


4号神殿を降りて、3号神殿の横を通り、遺跡の中心の大広場(Gran Plaza)へ向かう。1号神殿(Templo I 別名大ジャガー el Gran Jaguar)と2号神殿(Templo II 別名仮面 las Máscaras)がある。1号神殿は、その写真が、マヤ文明の、あるいはグアテマラの象徴としてよく使われるピラミッドである。このピラミッドからハサウ・チャン・カウィール1世王(Jasaw Chan K'awiil 在位682年-734年)の墓が1962年に発掘された。マヤのピラミッドは礼拝所であると同時に王墓でもあるといえる。この1号神殿のすぐ南には球技場(Juego de pelota)もあった。大広場の隣りには北のアクロポリス(Acrópolis del norte)がある。アクロポリスと呼ばれるところは神殿がいくつか固まってあるところで、ここも歴代の王の墓所であった。北のアクロポリス中央にある33号神殿の階段横には階段のステップ4段ぐらいの高さの大きな顔面が正面を向いている。このアクロポリスにある34号神殿は、ヤシ・ヌウン・アヤイインI世(Yax Nuun Ayaiin I)王(在位379-404?)の墓で、この王の父親(Búho Arrojalanzas フクロウ・投槍)は、テオティワカンから来た人物だそうである。4世紀末期頃のマヤ文明へのテオティワカンからの征服あるいは影響を示す歴史である。

 (C) 2013 Setsuko H. 1号神殿(Templo I)手前は大広場


西暦900年頃以降は、ティカルでは、建造物が建てられなくなった。マヤ文明の各地の都市において、800年から900年ごろまでの間には、石碑が建てられなくなり、文明の衰退・崩壊があった。

 (C) 2013 Setsuko H. ティカル最後の暦表記(西暦869年)がある石碑11(Estela 11): 写真の左、草葺屋根の中


ただ、都市での新たな建築や盛大な儀式、マヤ文字の知識などがなくなって、人口減少があったとはいえ、マヤ人が絶滅したわけではない。ティカルの遺跡の中に、「祭壇 / 現代のマヤ / 省令525-2002」(Altar / Maya contemporáneo / Acuerdo Ministerial 525/2002)という移動可能な看板が、焼け焦げのついた祭壇の脇に置いてあった。

 (C) 2013 Setsuko H. マヤ式祭祀を行うための現代の祭壇


マヤの信仰指導者(Guías Espirituales / Ajq'ijab)と同伴者は、入場料免除で遺跡に入場し、マヤの伝統に基づく祭祀を指定の場所で行うことが、省令(Acuerdo Ministerial)により認められている。2002年の後、2003年、2011年と何回か改訂されて発令されているようである。

ティカル国立公園は、世界自然遺産でもあり、いくつかの動植物が見られた。ガイドのアントニオさんが教えてくれたことで見ることができたものも多い。人があまりいないところでは、ホエザル(mono aullador)の声もあちこちの森の奥から聞こえてきた。

 (C) 2013 Setsuko H. カッコウ科の一種cuclillo piquigualdoか?


 (C) 2013 Setsuko H. ヒョウモンシチメンチョウ(guajolote ocelado / pavo de monte)


 (C) 2013 Setsuko H. 落ち葉に保護色でまぎれるカエル。ガイドさんが教えてくれたので見つけることができた。


 (C) 2013 Setsuko H. 根がたくさん生えている木


 (C) 2013 HOTTA Hideo.  (C) 2013 HOTTA Hideo. タランチュラ(tarántula)をペットのようにして手に乗せていた男性がいて観光客にも持たせてくれた。


複合体Rと複合体Qを見ながらさらに進み、遺跡内の見学を終えた。2時30分から遺跡内レストラン「エル・メソン」(El Mesón)で昼食をとった。遺跡のゲートを朝8時35分に通っているので、6時間近く遺跡を見学していたことになる。昼食後、入口近くのティカル博物館を見学(5)、午後4時にゲートを出た。
 その後、フローレス空港(Aeropuerto Internacional Mundo Maya)から国内便でグアテマラ市へ帰った。

<注>
2013年2月に旅行し、見聞したことと、旅行前後に調べたことを書いた。

(1) グアテマラにおけるbiotopo(自然保護区)とは、国立公園より小さい規模ではあるが、重要な自然を保護するために設けられる領域である。現在、6ヵ所が指定されていて、国立サン・カルロス大学環境保護研究センター(Centro de Estudios Conservacionistas - CECON)によって管理運営されている。
https://mundochapin.com/2017/04/6-biotopos-en-guatemala/33724/

(2) 「ティカル国立公園」(Parque Nacional Tikal)の名で、1979年に登録されている。ユネスコのサイト:
http://whc.unesco.org/en/list/64
国立公園に指定されたのは、1955年とのこと。
ティカルについて
八杉佳穂『マヤ興亡』福武書店、1990,
ポール・ジャンドロ『マヤ文明』白水社、1981(1988)
グアテマラ・文化スポーツ省のサイト:
http://mcd.gob.gt/tikal/
「マヤ遺跡探訪」サイト:
http://www.infomaya.jp/guatemala/tikal/
M. Shook, Edwin “Tikal Stela 29” Expedition Magazine 2.2 (January 1960): Expedition Magazine. Penn Museum, January 1960 Web. 07 Dec 2017.
http://www.penn.museum/sites/expedition/?p=120
Instituto Guatemalteco de Turismo (INGUT)Parque Nacional, Tikal
Patricia del Aguila Flores, Tikal sus linajes e historia, Guatemala, 2008.
http://sic.mcd.gob.gt/idaeh/otras%20publicaciones/tikal%202008.pdf
http://www.parque-tikal.com/#!/home
などを参考にした。

(3) パンヤノキ(セイバ ceiba)は、マヤ文明において重要な木であることから、植物学者Ulises Rojasの提唱により、1955年にグアテマラの国の木とされ、以後法律で保護されているとのことである。
http://www.revuemag.com/2015/08/la-ceiba-tree-of-guatemala/
マヤ人が自分たちの神話や伝承などをローマ字によってユカタンのマヤ語で綴った『チラム・バラムの書』(Los Libros de Chilam Balam)の一つに『チュマイェル』(Chumayel)がある。その冒頭「先祖の年代記」の部分に、世界の東、北、西、南にそれぞれ赤、白、黒、黄の4本のパンヤノキ(ceiba)が立ち、中央にも1本立っていると書かれている。
Los Libros de Chilam Balam de Chumayel, Fundación Editorial el perro y la rana, 2008. http://www.pueblosindigenaspcn.net/biblioteca/literatura-indigena/doc_view/135-los-libros-de-chilam-balam-de-chumayel.html

(4) メンデス(Modesto Méndez)は、ペテン県(Departamento de Petén)の行政長官をしていた1844年にティカル遺跡を探検し報告した人物である。

(5) 博物館については、「マヤ遺跡探訪」のサイトが詳しい:
ティカル石碑博物館とティカル王朝史 (Museo Lítico e Historia de Dinastía Tikal)
ティカル遺跡・シルバヌス・モーレー博物館 (Museo Sylvanus G. Morley, Tikal)


※写真はいずれも2013年2月グアテマラにて撮影 [©️2013 Setsuko & Hideo H.]

2017/12/10.- 2020/8/8.

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