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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

フィリピン セブ市 編

堀田英夫

スペイン語の足跡を探しつつ

フィリピン中部のセブ州マクタン島にあるマクタン・セブ国際空港に午後6時40分頃着陸、入国手続きをし、荷物を受け取って進むと、出口で迎えの現地ガイドが待っていてくれた。直ぐにホテルへ向け出発、車に乗ったまま、セブ島に渡り30分くらいしてホテルに着いた。セブ市内のホテルに4泊するフリープランの旅行に2016年9月に夫婦で行った初日である。この旅行で見聞きしたことと、その前後に調べたことを書く。

セブ島(ピンク色)中の赤丸がセブ市。空港のあるマクタン島はこの地図では表せないくらい小さく、セブ市街とは橋で結ばれている。
d-maps.com(http://d-maps.com/carte.php?num_car=1388&lang=es)のサイトからの地図を一部改変


セブ観光パンフレットを見ると、ビーチやマリンアクティビティの写真がほとんどで、目玉は、ビーチリゾートである。しかし、リタイアした年代の我々は、日焼けしたくないこともあり、海辺で過ごすリゾートには魅力を感じていない。それなのになぜこのセブ島に来たのかというと、フィリピンの中で最初にスペイン人が足がかりを置いた島だからである。私は、大学、大学院でスペイン語を学び、その後スペイン語の教育と研究に40年近く従事した。退職後の今もスペイン語圏へ旅行に行きたいという思いを持っている。しかし、スペイン語を公用語とする国はスペインも中南米も、日本からかなり遠くにある。退職して時間は比較的自由になったけれど、資金と体力がない。一方、スペイン人は、大航海時代に東アジアや日本にまで来ているので、アジアでのスペイン人やスペイン語の足跡を見る旅も面白いのではないかと思うに至った。それで今回はセブ市に来たのである。

安全を考え、移動はタクシー利用と決めていた。海外でのタクシー・ドライバーの多くは、我々が外国人で言葉が通じないと思うのか、あまり話しはしないのだが、3日目にホテルを出たタクシー車内で、「ドゥテルテ大統領についてどう思うか」と尋ねられた。その年5月の選挙で当選したドゥテルテ大統領は、「フィリピンのトランプ大統領」というように、その過激な発言について報道されていることは知っていた。現地の人たちとの政治的話題は、国によっては問題になることもあり、一瞬どう答えようかとためらいつつ、日本でもかなり報道されている、といったあたりさわりのないことをひとまず答えた。するとドライバーは、ドゥテルテ大統領は外国には評判が悪いかも知れないが、庶民のために政治をしてくれる政治家だと思うと言う。お互い、あまり流暢でない英語による会話なので細かいことの話しはできなかったが、庶民の間でのドゥテルテ大統領の人気の高さを感じることができた会話であった。

到着翌日サン・ペドロ要塞に行った。サン・ペドロ(San Pedro)はスペイン語である。日本では聖ペトロ、あるいは聖ペテロ、英語ならセイント・ピーターとなる。同じくスペイン語名で呼ばれる独立広場(Plaza Independencia)の隣にあり、要塞入り口の上に比較的新しい看板にスペイン語で「聖ペトロ砦 1565」(Fuerza de San Pedro 1565)と書いてある。数字は、フィリピンを征服したスペイン人ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(Miguel López de Legazpi 1503?-1572)が最初にここに砦を築いた年で、フィリピンで最も古い要塞であることを示している。看板の上に石の浮き彫りの紋章が見える。スペイン王国の紋章と同じ要素が含まれている。しかし城とライオンの配置が何故かスペインのものと左右逆で、左上のライオンの向きも逆である。紋章の左右に、浮き彫りの文字があり、左に「1833年改修される」(SE REFORMÓ AÑO 1833)、右に「マヌエル・ロメロ氏が市長(1)である時」(SIENDO ALCALDE M(AYO)R D(O)N MANUEL ROMERO)とスペイン語で読める。

入り口を入って城壁を抜け、中庭に入る。植物を手入れする人たちもいて、綺麗に整備された庭になっている。ヤシの木が立ち、熱帯の赤や紫、黄色などのあざやかな花もいくつか咲いている。右手へ歩くと、聖母像が祭ってある。さらにその先に井戸があり、「聖母の井戸」(POZO de la VIRGEN)とスペイン語表示がある。言い伝えによると、1570年代に井戸に聖母像が浮いているのが発見され、以後、この井戸水やその聖母像が病気を治す力があるとされ礼拝された。第2次大戦中に失われたものの、新たに像が作られ、2010年12月18日にこの要塞内に安置された。その後毎年12月18日にこの聖母像の祭礼が行われるとのことである。

(C) 2016 Setsuko H. サン・ペドロ要塞の東の城壁の上から南を見た景色。やや右の木々の向こうは海。


要塞の中には、いくつか建物があり、一部の建物は、セブ市の昔の様子を示す絵や写真、古い旗などを展示するちょっとした博物館になっていた。展示の英語による説明の中にもスペイン語由来のものが含まれている。古いベスト(胴衣)の説明では、VESTIDORとあるが、この語は現代スペイン語では別の意味(更衣室)である。意味が変化した、あるいは、別の語から語形が変わったのかもしれない。説明では、スペイン支配に対する武力闘争を担った組織であるカティプナンの一員が着ていたもので、これを着ていた人物は、1913年から1967年まで、グアダルーペ区サパンダコ町のCabeza(スペイン語:頭、長)であったと説明してある。建物は、兵舎、士官の住居などがある。これらは、フィリピン総督フェルナンド・バルデス・タモン(Fernando de Valdés y Tamón)によるスペイン語で書かれた報告書(1739)に記載があり、これに基づいて再建されているようである。石造りの壁の上に行く階段があり、要塞の周りの壁を歩いてぐるりと回ることができる。メキシコやキューバなどで見た要塞に比べてかなり小さく、小ぢんまりしていると感じた。要塞は、三角形をしていて、広場に面した正面の他の2面は、昔はすぐ近くが海辺だった。今は、近くまで2階建ての建物があるところもあり、海は建物の間にかろうじて見える程度である。

レガスピより前に、このセブにマゼラン一行が来ている。ポルトガル出身のマゼランは、スペイン国王と契約を結び、大部分がスペイン人からなる乗組員を率いて、西回りでアジアの香料産地へ向かう航海に、1519年、スペインを出発した。2つの大洋を横断し、セブの港に1521年に入った。セブを支配する王と友好関係を結び、キリスト教徒になるよう諭した。そして、セブの広場の中央に立てられた大きな十字架のもとで王と臣下たちに洗礼を受けさせたとマゼランの航海に関する同時代の記録にある。セブ市のシンボルでもあり、観光スポットの一つ、マゼランの十字架は、この史実に基づいている。現在、十字架は、8角形のあずまやで守られている。お祈り用のろうそくが置かれ、何人かの現地の人々がお祈りをささげているように、今も信仰の対象である。あずまやの天井には、スペイン人らしき司祭が先住民にキリスト教を説いている場面や十字架を立てている場面が描かれている。十字架の下の銘文によると、オリジナルの十字架を木で覆ってあるとのこと。オリジナルの十字架は、奇跡を起こしてくれると信じて削り取る人々がいたとのことである。またこの横にサント・ニーニョ教会がある。この名前はスペイン語で聖幼児(Santo Niño)、すなわち幼きイエス・キリスト像を意味する。マゼラン一行が、セブ王の王妃に幼児キリスト像を贈ったという記録がある。その44年後にレガスピらがセブを征服した際、先住民の家の中でイエス像が発見されたことにより、その場所にサント・ニーニョ教会が建てられ、この幼きイエス像を祭っているとのことである。

(C) 2016 Setsuko H. セブ市のシンボル、マゼランの十字架
台座の段の上に茶色などのローソクが並べられている。


次の日は、パリアン地区へ行った。まず道路に囲まれた三角形の広場にあるセブ遺産記念碑を見た。鉄柵に囲まれた敷地の中にセブの歴史上のいくつかの場面を一つの群れとして表している。中央上部にはマゼランの十字架らしきものがそびえている。スペインの帆船、スペイン兵の槍、教会、要塞などもある。その後、近くにあるはずのイエズス会士の家へ向かおうとしたが、よくわからない。通りがかりの年配の男性に道を教えてもらおうと尋ねると、足が不自由であるのにもかかわらず、連れて行ってくれた。金属加工工場の建物で、青い色の軽トラックも置いてある。その建物の中に、そのイエズス会士の家はあった。これでは前を通ってもわからないはずと、案内してくれた方に感謝しつつチップを渡そうとすると受け取ろうとしなかった。セブのことを知ってほしいから案内をしたという風であった。スペイン語で「1730年」(AÑO 1730)と書かれた丸い銘板が、家の中の出入口の上にあり、この家の建築年を示していて、セブの中で年代のわかる最も古い家とのことであ(2)。1768年までこの家はイエズス会の所有であり、後、スペイン人から19世紀末に中国系の家族が買ったようである。現在は建物を所有する個人が博物館として公開している。1階にはセブ市、特にパリアン地区の歴史を写真と英語で説明するパネル展示があり、イエズス会の布教活動を示すパネルの中にはザビエルを説明するものもあった。2階にあがると昔の生活を髣髴とさせる配置で、家具が置かれていた。幼きイエス像の他に、提灯、陶磁器、建物の木製ミニチュアのような中国文化を思わせるものがかなりある。

(C) 2016 Setsuko H. イエズス会士の家にあった幼きイエス像


次に、ヤップ・サンディエゴ先祖伝来の家に行った。これも個人が管理する博物館である。入場料を払うと、そこの若者が説明してくれた。17世紀末に中国人商人に建てられた家で、卵の白身で珊瑚石を接着した壁と木で作られているとのこと。1階の壁には昔のパリアン地区が描いてある。カトリックの信仰を示すいくつかの絵や像が飾ってあり、この家にも幼きイエス像があった。小さな庭があり、スペイン語で「ラファエルの庭」(JARDÍN de Rafael)と書いたプレートがあった。ヤップ・サンディエゴの家を出てからカサ・ゴロルド博物館(Casa Gorordo Museum)(casaはスペイン語で「家」)に歩いて行くと、改修のため閉鎖中との看板があった。1850年に建てられた家で、フィリピン出身で最初のセブ司教になったフアン・ゴロルドを含むゴロルド家、4代が住んだ家とのことである。鉄柵に囲まれた庭はわりと広く芝生が広がり、植木鉢が並んでいる。塀の外から写真を撮ってからホテルに帰った。

観光3日目は、サン・カルロス(San Carlos)大学の博物館を訪れた。車や人の交通量の多い道路に面している。この大学は1595年にイエズス会士たちにより作られた学校が始まりということで、フィリピンで最も古い大学とされている。博物館には、蝶や鳥などの展示の他、土器、石器、船など、先史時代のセブ島と近辺にいた民族の遺物が多く展示してある。何か作業をしていた男性職員が、来月から日本の人形展を開く準備をしていると話しかけてくれた。帰ろうとすると、まだ別の展示室があるからと、我々を案内するため女性職員を呼んでくれた。その展示室は、カトリックの各種の聖像などかなりの数が展示してあり見応えがあった。離れたところにあり、案内してもらえなかったら見逃すところだった。ここの職員の他、セブ市では何人もの親切さに触れることができた。

案内をしてくれた大学の女性職員に、ナシミエント(nacimiento キリスト生誕飾)を売っているところをたずねたところ、取り扱っているだろうショッピングセンターを教えてくれた。大学を出た後、タクシーで、その庶民派のショッピングセンターに行き、中で見てまわってナシミエント2つを買った。その後、そこのフードコートで、レチョン(lechón 豚の丸焼き)を食べた。lechónもスペイン語そのもので、白米もそえられ、かなりのボリュームだったのに庶民派ショッピングセンターだったので、98ペソ(peso)(両替レートで209円)と格安だった。また妻が、トゥロン(turrón)を見つけて買ってきた。この名前もスペイン語で、ヌガーに似た、スペインではクリスマス時期に食べるお菓子である。

今回の旅で、スペイン語の表示をいくつか見ることができた。表示のいくつかは、スペイン植民地時代の雰囲気をかもし出すためと思われる。一部の語は、標準的なスペイン語綴りと違っているものがあった。単なる誤植か、あるいは、現地化した語形かもしれない。セブの現地の言葉、セブアノ語には、今では、英語の借用語が含まれているが、スペイン語からの借用語もかなり含まれているからである。また、サン・ペドロ要塞の聖母像の言い伝え、十字架を削り取ったという話、あちこちで見た幼きイエス像など、セブに住む人たちが、先祖の代から篤い信仰心を持っていることを知った。スペイン人が持ち込んだスペイン語とカトリック信仰が、現地化したにせよ、今でも残っていることを見ることができた興味深い旅であった。


<注>
2016年9月に旅行し、見聞したことと旅行前後に調べたことを書いた。

(1) 市長と訳したスペイン語のalcalde mayorは、スペイン統治組織の一つで判事としての職権も持っていた。

(2) バハイ・ナ・バト(タガログ語 bahay na bato. bahayna繋辞 bató石. =石の家)と呼ばれる伝統的住居である。先住民、メキシコから来たスペイン人、中国人の技術が混合した様式で、1階が石造り、2階が木造の都市住宅。現在は「フィリピン的な歴史住宅様式」とされているそうである。このイエズス会の家とカサ・ゴロルド(Casa Gorordo ゴロルドの家)が残っているこの様式の家である。 J.R.ヒメネス・ベルデホ&布野修司「セブ市(フィリピン)の都市形成とその都市核の空間構成に関する考察」『日本建築学会計画系論文集』(76巻668号, 1867-1874, 2011)を参照した。


※写真はいずれも2016年9月フィリピンにて撮影 [©️2016 Setsuko H.]
2017/9/3 - 2020/3/13.

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