表紙 > 旅行記目次 > ガラパゴスペンギンとの時間

スペイン語国旅行記 別編

ガラパゴスペンギンとの時間

堀田節子

2017年6月中部国際空港を朝出発し、夫と2人エクアドルの首都キトへ旅立った。成田、アトランタと乗り継ぐ。アトランタで1時間50分の乗り継ぎを何とかクリアし、キトに同日夜降り立った。迎えのガイド中里さんに会い、キト新市街にあるホテルに日付が変わる前に入ることができた。

なぜエクアドルなのか。夫は40年近くスペイン語学の研究と教育に携わり2年前に定年退職した。退職後の夢が、まだ行ったことのないスペイン語圏への旅で、私もそれにのっかっている。私の初海外が30代、家族と一年すごしたスペインだったので、スペイン語圏への興味もいつしか一心同体となっているからである。夫も私も世界文化遺産と複合遺産は好きだが自然遺産にはあまり興味がない。そのため今回2人共キトが一番の楽しみだった。エクアドルはガラパゴスがあるからなんとかツアーはあるけれど、キトの観光が入るのを捜すのは難しかった。

気合を入れて見学したかったが、一夜明けた午前中は、キトが2850mの高地ということもあり休養にあてられている。キト到着時、中里さんに、2日目はホテルで昼食後1時に観光に出発と言われた。その時、一カ所日程にない博物館にできたら行きたいため、出発をもう少し早め、博物館で短い自由時間をもらえないか頼んでみた。しかし観光は現地ガイドの担当であり、深夜のこと連絡もとれないし変更できないとの話であった。2人だけのツアーだったので、現地では可能な場合説明はスペイン語でと前もって依頼していたせいではある。

キト旧市街は世界文化遺産第一号の一つである。ホテルからタクシーで旧市街へ行き、2人で午前中に博物館を見ることも考えたが、あいにくその日は午前中休館である。メインの午後に備え、無理はやめホテル周辺をゆっくり歩いて散策した。新市街とはいえ興味はつきず、有意義にすごすことができた。

1時にホテルロビーで現地ガイドのヒメナさんに会う。キト旧市街をじっくり見たいこと、アラバドの家・先コロンビア美術館を見たがっていることは聞いてくれていたが、時間の制約があるので、旧市街見学後赤道記念碑へ行く予定だがそこをあきらめれば博物館は可能だと言う。2人共即決で博物館を選んだ。彼女の運転で旧市街へ向かう。夫は後部座席、私は助手席に座らせてもらった。しゃべりやすさから、打ち解けた後には、彼女の身内のプライベートなことまで話していた。エクアドル滞在中会話は、中里さん以外とはほとんどスペイン語であった。私も必要にせまられて苦労して身につけたため一応は話せる。

キト市旧市街。奥に見えるのがパネシーヨの丘。


まず旧市街を一望できるパネシーヨの丘へ行った。彼女も言っていたが旧市街の観光で一番のネックは、駐車場の確保である。キトで生まれ育ち知人の多いヒメナさんは、丘を下った後、市立博物館の駐車場に顔パスで車を入れ、以降歩いての観光となる。市立博物館の見所も案内してくれた後、アラバドの家へ連れて行き、そこをしっかりと見せてくれた。知識豊富なヒメナは詳しく解説してくれる。今まで各地で博物館に行ってきたが、それに負けない、ある意味それ以上の展示に圧倒された。選び抜かれた品すべてがユニークであり見応えがある。その後は、日程にある場所に加え、彼女が選んだ見所も実に効率良く案内してくれた。歩いて見学中に出会った友人は数知れず。彼女が我々を紹介し、お互い挨拶するので、観光初日の気分は薄れてしまった。中里さんに新市街にある夕食レストランでバトンタッチしてヒメナさんは帰って行った。

3日目は6時半にホテルを出、タメ航空の便でガラパゴス玄関口のバルトラ島へ向かう。キト空港でガラパゴスへの荷物預けは別ルートでかなり厳しいはずだったが、ベテランガイド中里さんのおかげでフリーパスに近かった。無論我々も、前もって調べていてガラパゴスに持ち込んでいけないとあった物は荷物に入れていない。プラスチックのタグで厳重に荷物は閉じられた。中里さんから20ドルかかる書類と、国立公園入園料100ドルをそれぞれ受け取る。

バルトラ島へは当然直行便だと思っていたが、往復共エクアドル本土第2の都市グアヤキル経由だった。グアヤキルで客を降ろし(3分の2近くが降りて行った)、給油し新たに乗客を乗せる。50分近く機内で座って待っている間、シートベルトは閉めないよう言われる。何かあったらすぐ逃げるためか。

バルトラ島で書類を提示し100ドル支払い、厳しい手荷物チェックを受けた。入国カードのような質問リストを機内で配布され、その回答にかかわらず手荷物はすべて開けさせられる。質問に木製品の工芸品を持っているかというのがあった。キトで木製の小さな人形セット(ナシミエント)を購入していたので申告したのだが、大きさを見て問題ないとお店がやった丁寧な包装を解く必要はなかった。すべての検査をすまし、荷物2個も無事出てきて外へ出たら現地ガイドエンリケさんが迎えてくれる。

シャトルバスにガイドと共に乗りこみ、荷物と人でいっぱいになったらフェリー乗場へ出発。道路をリクイグアナが横断する間バスは停止。ガラパゴスについた実感が一気に涌く。フェリーの平らな屋根にスーツケース等をボンボンあげ、ネットも紐もなし。乗客はライフジャケットを身につけされホテルのあるサンタクルス島に到着。ホテルの名前の入ったトヨタのランドクルーザーが待っていて、我々とガイドを乗せサンタクルス島を縦断。南端にあるホテル地区へ向かう。その途中大きなスカレシアの森(ガラパゴス固有の草なのだが木のように繁っている)、双子のクレーター、野生のゾウガメがいるハイランド、溶岩洞窟を見学して行ったので、ホテル到着は3時となる。急いで遅い昼食。その後エンリケと歩いて10分ほどのチャールズ・ダーウィン研究所へ行き、説明を受けた。エンリケのガイドはこの日だけだったが、プロの誇りが端々に感じられ好感が持てた。

翌日から3日連続でデイクルーズである。ホテル等を回って予約客をピックアップし、ついでに船長、コック等の乗員も乗せて島北端の船着場へ向かう。夕方には逆におろしていく。クルーズ船の最大乗客数は16名で、日によってメンバーはほとんど変わり国籍は様々だった。ドイツ人夫妻とは初日2日と一緒だった。沖合いのクルーズ船までゴムボートで乗員乗客、食料品等を運びクルーズが始まる。3日間同じ船であり同じスタッフだった。クルーズ初日はまずサンタクルス島のバチャス・ビーチでアシカ等を多数見た。3日間気を配ってくれたガイドのダビッドさんが、アシカを我々の前後に入れ実にうまく写真を撮ってくれた。ガラパゴスではカメラを含め2m以上動物から距離をとるよう義務づけられている。真白な砂浜、透明な海、赤道直下の強い日射し、真っ青な空。その中で日光浴をし、好きに動きまわるアシカ達。2m近くまで寄っても悠然としている。

 (C) 2017 Setsuko H. サンタクルス島バチャス・ビーチへゴムボートで上陸。
ガラパゴスアシカ


ノースセイモア島では赤い袋を膨らますグンカンドリを見た。繁殖期の終わりに間に合って袋を膨らまし踊っている姿を目にすることができた。アオアシカツオドリは、通路として指定されている道のすぐそばでも雛を抱いている。少し大きくなったモコモコフワフワの雛が、母鳥のお腹から姿を見せていた。

 (C) 2017 Setsuko H. ノースセイモア島
グンカンドリ


 (C) 2017 Setsuko H. アオアシカツオドリが雛を抱いている


 (C) 2017 Setsuko H. 別のアオアシカツオドリ。右の親鳥のお腹の下の雛は親ぐらい大きくなっている。


クルーズ2日目はバルトロメ島観光である。この日は5時50分にホテルを出発し、昼食だけでなく朝食も船で摂った。島の一地点に上陸し溶岩地形を見る。真黒な異形の地である。別の上陸地点に行く途中ゴムボートからペンギンを捜したが、数が少なく小さいこともあってかなり難しかった。泳いでいる姿をちらっと見るか、遠くの岸に立っている姿を時折発見できただけである。

上陸してから展望地点まで歩いた。強烈な日射しの中での登りはかなりきつかったが、眺望はすばらしかった。

この日もシュノーケリングをする機会があった。これを楽しみに参加する人も多く、自前のウエットスーツを持参している人もいた。私と夫はシュノーケリング未経験である。ガイド兼インストラクターのダビッドさんに、この機会に、とさかんに誘われたが遠慮した。初日は我々以外の参加者がシュノーケルで楽しむ間、ビーチでさらにアシカ達を見ていた。

この日は夫は船で休んでいると言う。私と同じくシュノーケリングはやりたくないけれどビーチには行ってみたいという女性2人と共に、シュノーケリング組を下ろした後のゴムボートでビーチに連れて行ってもらった。

後はトゲのある植物で守られ、海からしか行けない小さいけれど美しいビーチである。せっかくだからビーチで泳ごうと水着を着て行ったしウエットランディングだったので、迷ったけれどカメラは船に置いていった。

 (C) 2017 H.H. ペンギンに遭遇したビーチ遠景。奥に見えるボートで上陸中。帰るまで我々3人だけだった。向かって右の方が溶岩の壁。


到着後すぐにビーチで泳いだ。他の2人は散歩したりビーチに座っておしゃべりをしていた。手つかずのビーチという風情で魅力的だったが、海水の温度が斑で少し泳ぐとすぐ変化した。海からあがり、泳ぐために脱いだTシャツを着て、日陰で休憩しようとビーチはずれの溶岩の壁の方へ行って座った。そこにガラパゴスペンギンが一羽立っている。

お尻をいざらせて少しずつペンギンに近づいた。2mまで寄ってジッと見つめても逃げて行かない。それどころかチョンチョンチョンと跳ねて私の方にさらに近づいてくれる。同行の女性が目撃していて、ペンギンから近づいてきたことを驚いていた。私とペンギンが見つめ合う時間は長く続いた。なぜかずっとそばにいてくれたのである。近くにアシカもいて一頭になったり二頭になったり移動していたが、ペンギンは動かなかった。カメラを置いてきたことを痛切に後悔したが、すぐそばでカメラを構えたらきっと嫌がって逃げて行くだろうとも思った。ガラパゴス滞在中のハイライトともいう瞬間なのに記憶にしか残す術がない。同行の女性が一人スマホで景色を撮っていたため、ズーズーしかったがペンギンとの記念撮影を頼んだ。

迎えのボートが来たため後ろ髪をひかれる思いでペンギンと別れた。船にもどってからスマホの画面を見せてもらったら、奇蹟のごとくきれいに写っている。私は幸せそのものの顔をし、ペンギンの姿もクリアである。

さらにズーズーしく、メールアドレスを言ってここに写真を送ってもらえないだろうかと頼んでみた。普段なら見ず知らずの人に頼み事をするなんて考えもしないのだが、できるものならあの瞬間を記憶以外に残したかった。本当は彼女の名前とメールアドレスを教えてもらいたかったのだが、そこまでプライバシーに踏み込むのも悪いと思い遠慮した。南米で生まれ育ち、現在は米国在住とのこと、とても親切な人だったのでついつい甘えてしまったのである。彼女は自宅に帰ったらアドレスに送ると約束してくれたが、旅は続き帰るのは1カ月後でそれからになると言う。ひたすらお願いし、頭を下げて別れた。

1ヵ月後から毎日今日か明日かと楽しみに待った。ただ確率は半々だと思っていた。長い旅の途中でアドレスを書いた紙を無くすかもしれないし、スマホが故障とかデータをうっかり消去とか何が起こるかわからない。何より旅先で袖振り合っただけの他人からの厄介な頼みを負担に感じて当然である。

私は旅行後、大量に撮った写真から現像したい分を選び、毎回アルバムを作っている。今回は帰った後、いつまでも整理せずにいた。ガラパゴスペンギンとの写真も加えたかったからである。

エクアドルから帰って2カ月以上たってから、ペンギンとのツーショットなしのアルバムは完成した。

エクアドルに行くのが目的の旅であり、キトが主眼であり、ガラパゴスはツアー成立のための添え物の感が私にはあったのに、終わってみればペンギンとの時間が一番の思い出となっている。無論エクアドルで会った多くの人々、すばらしい景色、おいしい料理等あらゆるものが心に残っているが、あのガラパゴスペンギンの眼差しと、一緒にすごすことができた時間が一番強く心に刻まれた。 白い長袖Tシャツ、黒い水着の私が、巨大な仲間に見えたのだろうか。まさかね。

いつの日か写真が送られてくる希望も僅かに持っている。万一届いたら、私は二度の僥倖に遭遇したことになる幸せ者だ。

後日談

2017年9月中旬締め切りの旅行記に応募するため9月上旬に「ガラパゴスペンギンとの時間」を書いた。貴重な体験を記録に残したかったからである。原稿を9月11日に送った一週間後にメールで写真が送られてきた。旅行記は選ばれなかったが、私は二度の僥倖に遭遇した幸せ者になることができた。

写真を撮ってもらうため立ち上がり離れたので、ペンギンの視線が後のアシカに向けられてしまっている。水着姿はカット。



※「後日談」掲載の同行女性のご厚意による写真以外の写真はいずれも2017年6月エクアドルにて撮影[©️2017 Setsuko & Hideo H.]
2018/2/2.- 2020/5/7.

© 2018 - 2020 HOTTA Setsuko