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スペイン語学徒のスペイン語国旅行記

エクアドル(2) ガラパゴス編

堀田英夫

朝9時キト発のTAME航空でガラパゴス諸島へ飛ぶと、飛行機は、50分ぐらい陸の上を飛んだ後、エクアドルで最大の都市で港町のグアヤキル(Guayaquil)に着陸した。ここで乗客の3分の2以上が降り、ガラパゴスまで行く我々は、給油の間、またグアヤキルから乗る乗客がそろうまで、飛行機の中で50分ほど待機させられた。結局ほぼ満員になった飛行機は、太平洋に出てまた1時間ほど飛び、11時半頃にバルトラ島(Isla Baltra)の空港に着いた。時差で1時間遅いため、移動の時間は、約3時間半である。

バルトラ島(Isla Baltra)の空港で委託荷物を受け取った後、迎えの現地ガイド、エンリケ(Enrique)さんの案内で、飛行場から船着場までバスで移動する。空港の周りには、また船着場へ行く道路の周りにも、背の高い樹木はなく、あるのはサボテンぐらいで、「荒涼たる」という言葉が相応しい景色である。走っていたバスがクラクションを鳴らし急に速度を落とすと、前方の路上に陸イグアナ(iguana terrestre)が居るのが見えた。ガラパゴス諸島で最初に見た野生の動物であ(1)。バスに乗っていた(たぶん)現地ガイドの一人がバスを降りてイグアナを道路の外へ声と動作で追い出し、一度は道路の右の外へ走っていったけれど、乗客の観光客がイグアナの動きに歓声を揚げる中、また戻ってきて、道路の左の外へ走っていった。道路外に出たのを確認してからバスがまた走り出した。

船着場でランチ(lancha)に乗り、向こうに見える対岸のサンタ・クルス島(Isla de Santa Cruz)にある船着場までイタバカ海峡(Canal de Itabaca)を渡る。荷物は船の屋根の上に載せる。ごく低い柵が回りにあるだけなので落ちてしまうのではないかと気がかりではある。オレンジ色の救命胴着を着て船の中に座っていると、水上に浮かぶブイの上で休んでいる鳥などが見られた。そうこうしているうちにサンタ・クルス島に着いた。上陸してから、島の南にある町プエルト・アヨラ(Puerto Ayora アヨラ港)にあるホテルに行くには車で島を北から南へ縦断する必要がある。道はほぼ真っ直ぐと伸び、島の高地を通る。島の北側の乾燥地帯とは異なり、高地は、南から絶えず吹く風が山腹に沿って上昇し雲や霧が出て湿気が多く、植物が多く育っている。道の途中、何カ所かで車を降りて見学をした。まず、ガラパゴス諸島固有の植物として、スカレシア(escalesias)とその森を見た。初日から「固有種の」(endémico)という語が説明の中に何度か出てくる。スカレシアはキク科植物で草の仲間なのだがガラパゴスでは木のように高く成長し林や森を形成している。幹線道路から少し入ったエル・チャト保護区(Reserva El Chato)でゾウガメ(tortugas gigantes)を見た。ここは保護区と農場(finca)が重なっていて、農場の内外をゾウガメが自由に行き来しているとのこと。少し歩くだけであちこちにゾウガメが居た。ゾウガメの甲羅は、島ごとに固有の形や模様をしていることをダーウインが発見したと旅行に出る前に再読した(2)で知識は得ていたけれど、野生のゾウガメを至近距離で見ることができるだけで満足であり、他の島のとの違いはわからない。農場では、ゾウガメを観察に来る観光客用に、喫茶や土産物の店が開かれている。

 (C) 2017 Setsuko H. エル・チャト保護区のゾウガメ


ガラパゴス諸島の地名の語源は、スペイン語の galápago「カメ」の複数形である。ただカメを表す語は、tortuga という語もあり、現代スペイン語では後者を使う方が多いようである。現地ガイドも galápago でなく tortuga を使っていた。スペイン王立学士院の辞書の定義によると、tortuga の項目では長さ2m半、横1mぐらいになるウミガメと長さ20から30cmのリクガメの説明があり、galápago の項目では tortuga に似た「カメ目」(quelonio)で指の間に膜があると記述してある。種類の違いでの名称の違いと解釈できる。外国語としてのスペイン語小型辞典 Diccionario de bolsillo del español actual (Madrid, SGEL, 2004)では、tortuga の見出しには、甲羅で覆われた爬虫類との説明があるが、galápago の項目には、tortuga とのみ記載してある。カメの総称として現代では tortuga を使うことがわかる。語源辞典(Corominas & Pascual, 1980, 1983)によると galápago が古くからの語形(初出:9世紀)で、tortuga は新しく導入された語(初出:1490)ではあるが、大航海時代には航海者や征服者達も普通に使っていたとのこと。ただ、tortuga の初出(tartugaの語形)とされている Alonso de Palencia(1490)には、galápago も載っている。ネブリハの羅西辞典(1492)ではラテン語 testudo に galápago のみの訳語がつけられていて、西羅辞典(1495?)では galápago de la tierra(陸ガメ), galápago de la mar(海ガメ), tortuga galápago(2つの語形の併記)の3つの見出しがある。ドン・キホーテ(1605)(1615)には tortuga の語は見つけられなかったが、続編(1615)(53章)で galápago が使われている。ガラパゴス諸島が発見された1535年や最初に載せられた地図が作成された1570年頃には、tortuga よりも galápago の語形がよく使われていたのではないかと思われる。その後 galápago が使われなくなり、tortuga の語形が普及したと考えられる。 ただガラパゴス諸島の名前から、ゾウガメに galápago の語形をあてている子供向きの本もある。

他に、双子のクレーター(Los Gemelos)、溶岩トンネル(túnel de lava)を見学し、島が火山活動でできたことの説明を受けた。

ホテルに入って、ごく遅い昼食の後、歩いて行ったダーウイン研究所(La Estación Científica Charles Darwin)でさらに多くのゾウガメを見た。こちらは囲いの中である。ここで繁殖させ、各島の自然に戻している。子供のうちは同じ囲いの中で飼育しているが、生殖能力のあるほどに成長するまでには別々の囲いに入れて島ごとの亜種が交配しないようにしているとのことであった。ピンタ島(Isla Pinta)の亜種最後の生き残りで2012年に死んだ「孤独なホルヘ」(Solitario Jorge, 英語 Lonesome George, ロンサム・ジョージ)は、生きていた姿で冷凍保存され展示されていた。アメリカ合衆国で防腐・冷凍処置されたとのこと。赤道直下の暑い気候の中での冷凍展示ということで、見学は、人数と時間が制限されていて外でかなり待たされた。順番が来ると、前室で一定時間待機して体温を下げでから展示室に入り、決められた時間の見学の後、また後室で一定時間待機してから外の暑いところへ出て見学終了である。

次の日から3日間は、サンタ・クルス島を南北に縦断する道路を、毎日往復し、島の北側の船着場からボートでデイ・クルーズ船に乗り込み、ガラパゴスの自然を満喫した。ホテルのある島の南から車で北上すると、途中の高地で霧の中を進むことになる。しかし北側の港近くになると青空で太陽が照っていた。3日間同じデイ・クルーズ船で、我々以外のほとんどの客は違う人達が参加していたが、船のスタッフとガイドは3日とも同じだった。ガイドはダビッド(David)さんで「自然保護ガイド」(guía natularista)と刺繍のしてある服を着ていて、英語とスペイン語両方で説明してくれた。1日目は定員の16人で、後の2日は定員より1人か2人少なかった。サンタ・クルス島のバチャス海岸(Playa Las Bachas)の白浜でアシカ(lobos marinos)、北セイモア島(Isla Seymnour Norte)でグンカン鳥(fragatas)やアオアシカツオドリ(piqueros de patas azules)、バルトロメ島(isla Bartolomé)でペンギン(pingüinos)、サンチアゴ島(Isla de Santiago)のスリバン湾(Bahía Sullivan)でパホイホイ溶岩流(lava pahoehohe)などの溶岩地形、プラサ島(Isla Plaza)でリクイグアナ(iguanas terrestres)、サンタ・クルス島のカリオン岬(Punta Carrión)でベニイワガニ(zayapa, abuete negro, (Grapsus grapsus))、ヨウガントカゲ(lagartos de lava)などを見た。

 (C) 2017 Setsuko H. バチャス海岸  向こうに見える沖合いのクルーズ船からゴムボートで手前の海岸に上陸する


 (C) 2017 Setsuko H. 規制の2mぐらいに近づいても逃げない


 (C) 2017 Setsuko H. 北セイモア島  グンカンドリ:雄は求愛のため赤い袋を膨らます。


 (C) 2017 Setsuko H. アオアシカツオドリが雛を抱いている


 (C) 2017 Setsuko H. プラサ島  リクイグアナ


ホテルのあるプエルト・アヨラでも、船着場で、アシカ(lobos marinos)、ウミイグアナ(iguanas marinas)などの動物とペリカン(pelícanos)などの鳥が、人のいとなみに無頓着に居た。マングローブの林も船着場すぐ近くにあり、観察用の回廊が設置されていた。

 (C) 2017 Hideo H. プエルト・アヨラ町中の道路標識  [ 運転注意 イグアナさん達(iguana + -ita + -s)横断 彼女らに気配りを! ]


ユネスコの世界遺産第1号自然遺産の一つとして1978年に登録されたガラパゴス諸島(Islas Galápagos)は、2007年に危機遺産(Patrimonio de la Humanidad en peligro)のリストに入れられた。人口増加抑制がないこと、観光の規制のなさ、外来の動植物種の島への侵入を防ぐ方策が不十分であることという理由である。2010年には、不法移民の追放と移住管理が強められたこと、年間観光客の流入数を適切に規制していること、観光客と貨物の陸揚げで外来生物種の侵入を減らすいくつかのプロジェクトが進められていることが評価され、危機遺産リストからはずされ(3)

ガラパゴスへ入る人の管理と外来動植物種の侵入を防ぐ方策は、あたかも一国の入国管理のような体制がしかれていた。まず、ビザにあたる「立ち寄り管理カード」(Tarjeta de control de tránsito. TCT)の公布をガラパゴス特別行政院(Consejo de Gobierno del Régimen Especial de Galápagos)から受けなければならない。これには、行き返りの航空券、滞在期間中のホテルもしくはクルーズの予約、それに20ドルが必要である。カードは同じもの2枚綴りで、氏名とパスポート番号、生年月日、国籍の他、島に入る日付、出る日付、入島時の航空便便名が印字されている。キト空港でのチェックインのためには、他の行き先とは異なるところで委託荷物の検査があった。検査が済むとプラスチックのシールで封印される。封印がある荷物のみが航空会社のチェックインカウンターで荷物を預けることができるとのことである。ちなみにプラスチックのシールは、素手で切ったりはずしたりすることができず、ジッパー式スーツケース(これにいつも旅行に持って行くハサミを入れていた)を開けるのに、ホテルでハサミを借りなければならなかった。

グアヤキルから離陸してしばらくするとガラパゴスへ入るために書き込むカードが配られた。持ち込む物についての申告のカードである。食べ物、種、木製品などを持っているかどうかの質問が並んでいた。また、バルトラ島に着陸してから、客室乗務員が機内の頭上荷物室を全部開けて、スプレーをかけつつ歩いて行った。規則により殺虫(消毒?)するとのこと。臭いはなかった。空港では、島の住民と観光客は別の列に並び検査があった。パスポートと「立ち寄り管理カード」(Tarjeta de control de tránsito. TCT)を見せ、一人100ドルの国立公園入園料を払(4)、手荷物検査の列に並ぶ。申告カードを渡し、荷物を開けて中を検査される。その後、飛行機から出された委託荷物が置いてあるところに進む。犬を連れた係り官が委託荷物を外側から調べている。係り官の許可があってから皆が一斉に荷物を取りに行く。

ガラパゴス諸島の大多数の面積と周囲の海域が国立公園に定められている。そこを訪問するには、守らなければならない規則、「ガラパゴス国立公園海洋保護区訪問規則」(Reglas de visita del Parque Nacional y Reserva Marina de Galápagos) が定められている。