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スペイン語の旅路

カスティーリャ語のゆりかご編

堀田英夫

ラテン語を先祖に持つロマンス語が話されていたイベリア半島へ、711年にイスラム教徒が北アフリカからやってきて、それまでの西ゴート人による王国を亡ぼした。アラブ人が北アフリカのベルベル諸族を率いて征服しに来たのである。アラビア語ももたらされた。半島のかなりの部分を占領したけれど、北部にはキリスト教徒が残り、話し言葉のロマンス語と書き言葉のラテン語を維持した。
 半島南部をイスラム教徒が支配していた8世紀から9世紀に、キリスト教徒により、北部にアストゥリアス王国(El Reino de Asturas)が建国され、それがアストゥリアス・レオン王国、カスティーリャ伯爵領、ナバーラ王国、バルセローナ伯爵領などの国になり、南のイスラム教徒の領土を再征服していった。この再征服において中心的役割を担ったのがカスティーリャ伯爵領からレオン王国も併合して独立(1037年)したカスティーリャ王国である。

カスティーリャ語のゆりかご

書き言葉は、書かれたものを手本として習得することで、あまり歴史的変化はしない。話し言葉は、時間とともに、世代により形を変えてしまう。再征服時代、北部のいくつかの王国は話し言葉としてのラテン語からそれぞれ独自の言葉を発達させてきた。再征服戦争で中心的役割を果たし、領土を最も拡大したカスティーリャ王国の言葉が、カスティーリャ語であり、後のスペイン語となる。
 文字で書かれた記録の中で、ラテン語と異なり、カスティーリャ語の特徴が現われているものを、カスティーリャ語の誕生とし、その記録が残された地が「カスティーリャ語のゆりかご」と比喩的に表現されている。
 カスティーリャ語のゆりかごと名乗りをあげているのが、ラ・リオハ州サン・ミリャン・デ・ラ・コゴリャ(San Millán de la Cogolla)とカスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県のバルプエスタ(Valpuesta)の2ヵ所である。
 サン・ミリャン・デ・ラ・コゴリャの修道院に「サン・ミリャン注解」(Glosas Emilianenses 977年)と呼ばれる文書が保存されていた。この文書はラテン語の宗教書で、これを読解していた当時の修道士たちが、理解が難しいラテン語の語句のところに、自分たちが理解しやすい語句で注を書き入れていたものである。この書き込まれた語句・語形が、当時の話し言葉を反映していると考えられる。理解が難かしい語句をわかりやすい言葉で置き換えたり、説明したりする形は、辞書の原形とも言える。そのような語句と語義を拾い出し、特定の分類や配列でリストにすれば語彙集・辞書になる。14世紀末から15世紀に作られたそのような語彙集が翻刻されている。
 「サン・ミリャン注解」に書き込まれた言葉は、口語ラテン語から変化したロマンス語ではあるが、カスティーリャより東のアラゴン方言の語形とされているので、厳密には「カスティーリャ語のゆりかご」とは言えない。
 ブルゴス県のバルプエスタのサンタ・マリア教会に保存されていた教会記録簿(cartulario 記載最古は804年)のラテン語に当時の話し言葉のロマンス語の特徴、すなわち原始カスティーリャ語の特徴があちこちにみられるそうである。それで「カスティーリャ語のゆりかご」として名乗りをあげている。
 「サン・ミリャン注解」が保存されていた「サン・ミリャンのユソ修道院とスソ修道院」(Monasterios de San Millán de Yuso y de Suso)は、世界遺産に登録(1997年)されている。スソ修道院は6世紀からのもので、その修道院から少し山を下ったところに16世紀初め新らしいユソ修道院が建てられたそうである。susoはラテン語起源で「上に」、yusoは「下に」という意味とのこと。

シロスのサント・ドミンゴ修道院 Monasterio de Santo Domingo de Silos

「サン・ミリャン注解」と共に、カスティーリヤ語初期の語形が書き込まれた文書としてスペイン語史の専門書で扱われているのが、シロスのサント・ドミンゴ修道院(Monasterio de Santo Domingo de Silos ブルゴス県)に保存されていた「シロス注解」(Glosas Silenses 10世紀後半)である。このシロスのサント・ドミンゴ修道院には、1984年に訪れることができた。

(C) 1984 Setsuko H. シロスのサント・ドミンゴ修道院 ブルゴス県 1984年6月


(C) 1984 Setsuko H. シロスのサント・ドミンゴ修道院の回廊 1984年6月


 この修道院に保存されていた最も古い記録は954年のものとのことである。10世紀頃からキリスト教修道院として機能してはいたが、イスラム教徒による破壊などにより荒廃していたものを、11世紀にカスティリャ王フェルナンド1世の命により、サン・ミリャンのドミンゴ修道士が再建にあたった。この中世に立てられたロマネスク様式の建物と、16世紀に増築された建物が、現在のシロスのサント・ドミンゴ修道院を形成している。
 石造りの重厚な建物で、修道士たちがこのような建物の中で、修行として書写をしていた生活を想像した。訪問したのは6月だったので気候はよかったけど、冬はとても寒いのではないかと思った。

カスエィーリャで話されていたロマンス語が、カスティーリャ王国による再征服で、イベリア半島の広い部分を被うことになった。
 1492年1月2日にイスラム教徒最後の拠点グラナダが、カトリック両王(los Reyes Católicos カスティーリャ女王と夫のアラゴン王)に明け渡されたことにより、711年から続いたイスラム教徒によるイベリア半島支配が終わった。
 やがて、宗教、政治、言語の統一が進められていった。アントニオ・デ・ネブリハ(Antonio de Nebrija)によるカスティーリャ語の辞書や文法書なども書き言葉としてのカスティーリャ語の普及、標準化に貢献したと考えられる。


<注>
「スペイン語の旅路」の何ページかは、2018(平成30)年7月1日に愛知県立大学サテライトキャンパスで「スペイン語の旅路への旅行き」と題して筆者が話した内容の増補改訂版である。2018(平成30)年度愛知県立大学公開講座「県大アゲイン」の第2回として開催されたもの。
http://whc.unesco.org/en/list/
https://es.wikipedia.org/
などを参照した。
拙著『スペイン語圏の形成と多様性』朝日出版社, 2011.に、カスティーリャ語のゆりかご(pp.10-14)、14-15世紀の語彙集(p.14)、ネブリハ(pp.16-)などについて触れている。


※写真は1984年にスペインにて撮影 [©️1984 Setsuko H.]
2019/6/23.

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